【インタビュー】「今や私にとって日本がホーム」アレックス・カークが帰化の想い明かす
日本代表の帰化選手争いは熾烈だ。ジョシュ・ホーキンソン(サンロッカーズ渋谷)がパリオリンピック出場に導く活躍を見せれば、ジョシュ・ハレルソン(佐賀バルーナーズ)は2月に鮮烈デビューを飾った。2人の競争に、1月に帰化申請が許可されたアレックス・カーク(琉球ゴールデンキングス)も加わることになる。アメリカ出身のカークはどのような経緯で帰化に至ったのか。日本代表への想い、タイトル獲得を目指す所属チームについても語ってもらった。 インタビュー=入江美紀雄 写真=B.LEAGUE
■チームメートの後押しで日本国籍を取得
――ニューメキシコ大学卒業後、2014年にNBAのクリーブランド・キャバリアーズでキャリアを始め、イタリア、中国、トルコを経て、2017年にアルバルク東京へ加入しました。まずは来日の経緯から教えてください。 カーク 日本に来る前はトルコのアナドル・エフェスSKというチームでプレーしており、契約満了に伴い、次の所属チームを探していました。スペインに行くことも考えましたが、A東京から非常にいいオファーをいただきました。プロキャリアを続けるための素晴らしいチャンスをもらえたと感じ、日本や東京のいいところも聞いていたので、喜んでこのオファーを受けることにしました。 ――日本についてどのようなイメージを持っていましたか? カーク 正直に言うと、東京や日本のバスケットボールコミュニティやバスケットボール文化に関してはあまり知りませんでした。そういった状態で来日しましたが、ここまでよくやってきたと思っています。 ――日本に馴染むのには時間を要したと思います。 カーク 日本人選手とのプレーに慣れるのは2カ月ほど掛かりました。当時のA東京には安藤誓哉選手(現島根スサノオマジック)、馬場雄大選手(現長崎ヴェルカ)、田中大貴選手(現サンロッカーズ渋谷)、竹内譲次選手(現大阪エヴェッサ)といった選手がいましたが、最初の2カ月は適応するのが難しかったです。その後は軌道に乗り、素早く馴染むことができました。 ――A東京で6シーズンにわたってプレーし、琉球ゴールデンキングスへ移籍。そして2024年1月に帰化が発表されました。日本国籍取得のきっかけを教えてください。 カーク たしか日本で3年目を迎えようとしていた時、安藤選手、ザック・バランスキー選手(A東京)、竹内選手など仲のいい日本人選手と数年先の可能性について話すようになりました。チームメートが日本代表選手として活躍することを応援していましたが、彼らが「日本のパスポートを取得すれば、日本代表として一緒にプレーできるよ!」と言ってくれたので、帰化について考えるようになりました。チームメートの後押しで日本国籍を取得することになったのはエキサイティングな経験でした。 ――ニック・ファジーカス選手(川崎ブレイブサンダース)やライアン・ロシター選手(A東京)はすでに帰化選手として活躍していました。彼らに相談するような機会はありましたか? カーク ファジーカス選手が日本国籍を取得することを早い段階で聞いていましたが、その時点のタイムラインを含め、うまく進むのか確実ではなかったので、私はどうするか決めかねていました。ただ、日本代表チームがファジーカス選手の帰化手続きをしっかりとサポートしている様子を見て、彼の手続きが無事に完了したら僕もやってみようと思うようになりました。彼の帰化は間違いなく僕にとってモチベーションでした。 ――帰化手続きで大変だったことを教えてください。 カーク 率直に言って、すべてが大変でした。帰化は非常に長い期間を必要とするものですし、僕にとって重要なことでしたから。ストレスを感じるようなもので、シーズン中にやらなければいけないことも多かったです。日本語を学び、弁護士や家族にも本件を話す必要があり、すべてのプロセスが難しくて長かった。ただ、私は幸運なことに周囲の方々に恵まれていました。特に沖縄に来て以降、キングスのスタッフがしっかりとサポートしてくださったおかげで、手続きを問題なく進めることができました。 ――日本代表への想いを聞かせてください。 カーク 日本代表でプレーすることは目標の1つでした。先ほど話したように、友人と一緒に日本代表でもプレーできるチャンスだと思って帰化手続きを始めました。日本代表に選出される友人は少なくなりましたが、それでも日本を代表してプレーできるチャンスがあるということは大きなモチベーションです。日本代表は先日、FIBA主要大会では88年ぶりに中国代表を相手に勝利しました。今後もいい方向に進んでいくと思います。僕がどのような形であれ日本代表をサポートできれば、それは間違いなく素晴らしい機会ですね。 ――その中国戦を含め「FIBAアジアカップ2025予選」Window1で2連勝を飾りました。 カーク (グアム代表戦、中国代表戦の)両方を見ましたよ。とても楽しかったです。ジョシュ・ハレルソン選手(佐賀バルーナーズ)がデビューしましたが、日本代表としてコートに立っている瞬間は彼にとって非常にエキサイティングなものだったと思います。21リバウンドという記録も含め、見ることができて良かったです。彼らの大半はいつも対戦相手としてプレーする選手たちですが、日本代表として一致団結している姿はカッコ良かった。チームメートの今村佳太選手も出場していて、試合で見せたパッションはアメイジングでした。中国との試合はとても熱い戦いで、日本代表が昨年の夏に沖縄で成し遂げた快挙を思い出しました。 ――日本代表で一緒にプレーしたい選手はいますか? カーク 彼らはライバルですからね……難しいです(笑)。ただ、2人のユウキ(富樫勇樹/千葉ジェッツ、河村勇輝/横浜ビー・コルセアーズ)と一緒にプレーすることは僕にとってもいい経験になると思います。富樫選手は安定感があり、Bリーグの顔であり続ける存在。河村選手は成長を遂げている最中で、チームを次のレベルに上げることができる選手。そんな2人と一緒にプレーできるのは素晴らしいことだと思います。もし僕が日本代表としてプレーできるのならば、A東京時代の友人である安藤選手や田中選手に連絡を取って、「もう一度、僕と一緒にやろうぜ」と言おうと思います(笑)。 ――トム・ホーバスヘッドコーチとコミュニケーションを取る機会はありましたか? カーク 彼とは昨シーズン、A東京在籍時に会いました。日本代表のやり取りはスタッフ間で行われることもあって、日本国籍取得後はまだ直接話をしていません。彼は重大な仕事に集中しており、忙しいこともわかっています。この先に控えているパリオリンピック、アジアカップ予選が楽しみです。 ――自身は2013年にユニバーシアードのアメリカ代表に選出されました。 カーク FIBAではなくジュニアのイベントでしたが、チームUSAの一員としてロシアのカザンに行きました。USA代表としてプレーすることはとてもエキサイティングな経験でした。ナイキ製のUSA代表ジャージを着て、用具もすべてカッコ良く、とても楽しかったです。ただ、事前のトレーニングキャンプをすることなくロシアに行き、海外の大学チームや代表チームと試合をするだけでした。試合にも負けてしまったので、そこには楽しさを感じられませんでした。