「映画は映画館で」「暴力を消費するな」 イタリアの名匠からほとばしる映画愛と現代への提言
イタリアの名匠、ナンニ・モレッティ監督の新作「チネチッタで会いましょう」には映画製作の苦悩と喜びが、知的で辛辣(しんらつ)、軽妙なユーモアとアイロニーたっぷりに描かれている。50年近いキャリアの間にカンヌ、ベネチア、ベルリンの3大映画祭を制覇し、ますます深みと鋭さを増すモレッティ監督。ローマとのオンライン取材の端々に、現在の映画作りへの疑問符と映画愛があふれていた。 【写真】「時代と感覚が合っておらず、居心地の悪い思いをしている人間を描きたかった」とモレッティ監督 「チネチッタで会いましょう」の一場面 新作「チネチッタで会いましょう」はこんな物語だ。映画監督ジョバンニは、イタリア・チネチッタ撮影所での新作撮影を目前に控えていた。本人は、1956年のソ連のハンガリー侵攻時、イタリア共産党がソ連から脱却しようとする政治映画を撮っているつもりだが、女優が演出に口出しして恋愛映画だと主張し始める。40年もそばにいたプロデューサーの妻は別れる勇気を得るために精神分析医に通い、若手監督の暴力映画をプロデュースしている。娘は自分ほどの年齢の男と結婚すると言い出し、あげくに自作のプロデューサーが詐欺師だと発覚する。果たして映画は完成し、愛する人たちとの関係は修復できるのか……。
ジョバンニは自分そのもの
モレッティ監督には「ナンニ・モレッティのエイプリル」(98年)、「母よ、」(2015年)など、映画の中で映画を撮る作品が何本もある。主人公の監督は、多くが自身の分身で、時々の社会への違和感などが盛り込まれている。「ジョバンニはその中でも、自分に似ている。考え方も完璧に同じ」と歯切れよく語り始める。 「私の作品はいつも多層的です。しばしば舞台や映画の中の映画が出てきて、いくつもの層が関わり合いながら同時進行していく。この映画の主人公は、現代にうまく適応できていない。時代と感覚が合っておらず、居心地の悪い思いをしている人間を描きたかった」と付け加えた。 自分に限りなく近い監督が主役の一方で、映画を作る際に観客を意識するか聞いてみた。「観客のことは考えていないと言ってきたが、実際のところはわからない。ただ、自分に観客の好みが分かっているとは思えない。毎回、その映画を撮る必要があると思っているし、世界や人々に抱いている感情を描きたい。観客の期待に応えるよりも、私の映画に歩み寄ってくれることを期待しながら撮っている」