[矢部太郎さん]お笑い芸人と漫画家の二足のわらじ 「光る君へ」にも出演…冷え性対策は「絹、綿、絹、綿」
ウェルネスとーく
お笑い芸人の矢部太郎さんは、漫画家としても活躍し、デビュー作の「大家さんと僕」がベストセラーになりました。小さい頃は体が弱かったそうで、絵本作家の父・やべみつのりさんら家族と暮らした日々を、「ぼくのお父さん」という作品に描いています。健康の大切さや、自分らしさを学んだ幼少時の思い出、今の体の悩みについて聞きました。(聞き手・松本由佳) 【漫画と写真4枚】矢部太郎さんが即興描いてくれた漫画
ぜんそくで苦しむ太郎を描く父…「あれは漫画です!」
――子どもの頃は体が弱かったそうでうね。 小児ぜんそくでした。大きくなるにつれて症状が出なくなりましたが、ゼーゼーして苦しかったことを覚えています。父の書いた育児日記にも「大変だ」と書かれていました。 ――作品「ぼくのお父さん」にもありますが、発作で苦しんでいらっしゃる様子をお父さんはスケッチしていたとか? まあ、あれは漫画ですから、ああいうふうに描きましたが。本当に命に関わること以外は父は子供を観察していたといいます。その場で描いたのか、後で描いたのかはわからないですが、そういう絵は日記にもありました。 ぜんそくはまだ幼かったので、苦しかったなという記憶はありますが、あんまり覚えていなくて。吸入器とか薬を持ち歩くというのでなく、夜に必ず発作が出るわけでもなくて、いつしか自然に治りました。あと骨折もしましたね。滑り台で勢いよく前に手をついて腕を折ったり、バスケットボールのゴールに登って落ちたり。ギプスをつけていましたね。
家で父と絵を描いて遊んだ
――お父さんは、自宅にずっといらしたそうですが、影響を受けたことはありますか。 父は世間一般の尺度で生きていないところがあって、そんな父の存在は大きかったかもしれません。子ども向けの造形教室を開いていて、例えば廃品工作というのをやっていました。ゴミをゴミと思わず、宝の山だといって、おもちゃなどに作り変えてしまう。物事を別の価値観ではかる、というところがあって。僕も父と一緒に絵を描いたり、工作をしたりして遊んでいました。 自分は体が大きくもないし強くもないので、病気ではないけど、引け目を感じていた部分はあったかもしれません。人と比べて、秀でていない面があるな、と。だから、他のことをしたいと思っていました。徒競走で速い人がいても、その人はその人、自分は自分だと考えるようになりました。 僕が保育園に通っていた頃、父は結構深刻な肺の病気になって、しばらく入院していたんです。ヘビースモーカーだったんですが、退院してからたばこをやめましたね。僕の中で健康って大事だなと思うきっかけになりました。