芸術文化センター開館20年 震災の日にマーラー「千人の交響曲」 出演者が見た震災
中学で大阪に引っ越したが、10年ほど前から、演奏会の合唱に参加するようになった。芸文センターの舞台にも立った。
「一度は離れた西宮とまたつながれたことがうれしい」
「千人の交響曲」は、マーラーが「偉大な歓喜と栄光をたたえている」とし、芸術監督の佐渡さんが「復興に尽力してきた人々のための演奏会にしたい」との思いで選んだものだ。
震災から30年がたつ。
「ボランティアの方々も含め、本当にいろんな人に支えられていたんだなと思う。今回の舞台では、今まで出会った人たちの顔が、自然と思い浮かんでくると思います」
■芸術監督、佐渡裕さん「未来を見つめる場所に」
芸術文化センターの芸術監督を、開館当初から務めている指揮者の佐渡裕さん。開館20年、阪神大震災から30年を前に芸文センターで記者会見を開き、「祈りとともに、未来を見つめる場所になると考えてやってきた」と振り返った。
芸術監督の就任を当時の県知事、貝原俊民さんから打診されたのは、街の復興が進んできた震災6年後のことだった。心の復興を目指したいという言葉に、「一人の音楽家として街を託されたことに感激し、武者震いした」と振り返る。
大阪と京都が中心だった関西の芸術シーンは、芸文センターにより大きく変わった。開館に合わせて結成した兵庫芸術文化センター管弦楽団(PAC)の定期演奏会や、夏の恒例となったオペラ公演に加え、現代演劇に伝統芸能、J-POPのライブなど多彩な舞台が常に展開されている。
「成功した感覚がある」と佐渡さん。背景には、「心の復興を目指すというスタッフの強い志があった」と感じている。
30年たっても、震災で大切な人を失った心の痛みは消えない。一方で、震災を知らない人も増えていく。それでも「ここでの時間が癒やされるもの、励まされるものであることをテーマに、これからも劇場づくりを考えていく」と語った。(藤井沙織)