【大英帝国から連綿とつづく貴人の義務(noblesse oblige)の精神】苦境のスリランカを支えている大英帝国のレガシー
1872年創立名門私立校トリニティー・カレッジ
11月30日。キャンディー中心街から歩いて15分のトリニティー・カレッジを訪問。残念ながら当日午後一杯は週1回の校長以下教員会議で校長先生との面談は叶わなかった。同校はスリランカでも有数の名門校であり英国国教会により1872年に設立された。広大なキャンパスの雰囲気は英国の名門寄宿学校であるハロー校やラグビー校を彷彿とさせる。 最も印象的なのが下校時に正門付近を歩いていた6~7人の高校生と思われる長身の上級生のグループだった。全員制服の真っ白いズボンに校章の入った半袖ワイシャツを着用し黒い革靴を履いている。アイロンのかかったズボン、糊のきいたワイシャツ、ピカピカの革靴。フツウの公立高校の男子生徒のヨレヨレの服装とは雲泥の違いだ。まるで名門ゴルフ場でプレイの合間に談笑しながら歩いている英国紳士のように背筋を伸ばしてゆったりと闊歩していた。 ちょうど正門を入ってきた中年婦人に出会うと丁重に挨拶を交わした。婦人は同校の元教師であったらしく婦人を囲んで和やかに談笑を始めた。婦人に対してなんとも優雅に応対している。放浪ジジイは彼らの明るく溌剌とした非の打ちどころのない少年紳士ぶりに感服した。 将来国家・社会のリーダーとなるべき人材を育むエリート教育とはかくあるべきなのだろう。このトリニティー・カレッジの男子生徒を見て英国の伝統的エリート教育が現代のスリランカにも確実に継承されていると思った。ひるがえって日本のいわゆる超難関エリート男子高校の生徒はいかがであろうか。
1840年創設セント・ポール英国国教会
12月2日。キャンディー中心部にあるセント・ポール英国国教会(AnglicanChurch)。当日は日曜日であり朝の礼拝が終わって信者たちが教会の入り口や庭で三々五々と集まりクッキーと紅茶で談笑していた。
牧師(priest)は穏やかな40歳くらいのスリランカ人だった。現在教区(parish)の信者は約400家族とのこと。英国国教会は世界遺産“仏歯寺”とキャンディー王国時代の宮殿に隣接している。キャンディー国立博物館の解説によると当時キャンディー一帯を統治していたキャンディー王国のシンハラ王朝は英国の侵略に抵抗できず1815年に統治権を英国王ジョージ三世に委譲。その統治権委譲契約書は英語・シンハラ語で併記されている。独自の文字を持つだけの文明の進んだ仏教を奉じる王国だったようだ。 統治権委譲から僅か25年後に仏教信仰の中心地のキャンディーに英国国教会を建設して英国人牧師たちは布教活動を本格化。そして200年後に英国からスリランカが独立してからも英国国教会はスリランカ人牧師により教区を守ってきた。統治者・支配者が変わっても信仰は継承される。スリランカ人牧師の温厚なお人柄に接して改めて宗教の持つ力を再認識した。