“コンビニの父”鈴木敏文が感心した100円ショップの誕生秘話とは?
■ 100円ショップ誕生秘話 鈴木 それにしても、100円ショップなんてよく考えたよなぁと感心します。 矢野 僕は何も自慢できることはないんですが、ただ一つだけ言えるのは、人とは違ったジャンルの商売をしたこと。みんなが食料品を集めて食料品店、本を集めて本屋さん、家電を集めて家電屋さんをつくるところ、私は100円というコインでお店をつくった。これは世界で初めてなんですね。他に褒(ほ)められることはありませんけど、そこだけは「どうだ!」と言える。 鈴木 最初に100円ショップって聞いた時は首を傾(かし)げたけど、一度店に入ってみたら、いろんな商品があって実に面白いなと。そのアイデアを思いついたことがすごい。 矢野 アイデアじゃないんですよ。もともとは80円から200円くらいまで小間物(こまもの)がいっぱいあって、それに1個1個値段をつける暇がなくなっただけなんです。 というのも、創業当初は固定の店舗があったわけではなく、トラックに雑貨を積み込み、公民館や空き地で移動販売をしていました。ある時、お昼頃に着いたら、お客さんがたくさん待っておられましてね。トラックから商品を下ろしよったら、お客さんが勝手にそれを開けて、「これなんぼ?」「これなんぼ?」って言われるんですよ。私もいちいち伝票を見る間がないもんで、もう途中から「なんでも100円」って、ついつい言うてしもうたのが始まりなんです。 よくいろんな方から「先見(せんけん)の明(めい)があったんですね」って言われるんですけど、戦略で始めたんじゃないんです。困って仕方なしに100円にしたのが実際のところです。 鈴木 いまは何店舗になったの? 矢野 国内が約3300、海外が26か国で約2000店舗あります。従業員は2万人、売上高は4500億円になっています。 鈴木 普通のセンスじゃできないですよ。やっぱり100円ショップをつくったというのは、ある意味の天才だと思う。 矢野 いや、鈍才なんです、超がつくほど。頭が悪くて能力もない。だから、うちは経営計画をつくったことがないんですよ。そんなものはお客さんが買ってくださってできることなので、経営計画なんかつくる必要ないと。あと、企業理念も社是社訓もありません。 会社を大きくしたいと思ったことがないんです。儲けようなんて大それたことは考えない。売れればいいんだと。きょう一日、一所懸命頑張ろう。その一点でしたね。 鈴木敏文(すずき・としふみ) 1932年長野県生まれ。1956年中央大学経済学部卒業後、東京出版販売(現・トーハン)に入社。1963年ヨーカ堂(現・イトーヨーカ堂)に転職。1973年セブンーイレブン・ジャパンを設立し、コンビニエンスストアを全国に広め、日本一の流通グループとして今日まで流通業界を牽引する。2003年イトーヨーカ堂及びセブンーイレブン・ジャパン会長兼CEO就任。同年、勲一等瑞宝章受章、中央大学名誉博士学位授与。2016年5月名誉顧問。 矢野博丈(やの・ひろたけ) 1943年天津生まれ。1966年中央大学理工学部卒業。学生結婚した妻の家業を継いだものの、3年足らずで倒産。その後、9回の転職を重ね、1972年雑貨の移動販売を行う矢野商店を夫婦で創業。1977年大創産業設立。1987年「100円SHOPダイソー」1号店が誕生する。1991年初の直営店を香川県高松市にオープン。1999年売上高1000億円を突破。2000年『企業家俱楽部』主催の『年間優秀企業家賞』を受賞。2018年売上高4548億円で業界シェア56%の業界トップ企業である。2018年3月同会長。2024年2月に死去。
藤尾 秀昭