「4億円の印税が入る…」麒麟の田村裕、ベストセラー本“再び”を期待する娘の皮算用
当時だからできた先生と生徒の関係
田村さんは、自著の中でさまざまな“人との出会い”への感謝を綴っている。 「僕の人生は、ほんまに返しきれない恩ばかりなんですよ。公園生活から救ってくれた川井家のおばちゃんとおじちゃんは『この家に住んだらいい』と言ってくれました。自分に置き換えてみても、わが子が突然連れてきた、よく知らない子どもに対してなかなかそんなこと言えないですよね。 高校の恩師の工藤さんは、先生と生徒ではなく“対等”に接してくれる人でした。卒業後も家族ぐるみでお付き合いがあり、僕が大阪で講演するときはいつも見に来てくれたんです。数年前に他界してしまったのですが、今も講演会に行くとどこかの席で見守ってくれているような気がします」 そして、バスケ少年だった彼が、今も“バスケ芸人”として活躍できているのは「3人の恩人のおかげ」と田村さんは語る。 「1人目は中学時代にバスケ部でキャプテンをしていた“ゴリ”。中3のとき、最後の練習試合の日の朝に家までゴリが迎えにきてくれて、その後もバスケを続けるきっかけをくれた同級生です」 2人目は、高校時代のバスケ部顧問の山川先生。試合の交通費やユニフォーム代など、支払いに困っている田村さんにお金を貸してくれたり、大事にしていたバッシュをプレゼントしてくれたりと、彼が経済的な理由で部活動を諦めずに済むようにサポートしてくれた人物だ。 「ただ、つい最近僕の勘違いが判明しまして……。長年『山川先生からバッシュを2足もらった』と思っていたのですが、もう1足は理科の覚前先生が買ってくれたものだったんです。先日、山川先生の定年退職パーティーで、涙ながらにバッシュの話をしたところ、出席していた覚前先生から『2足目のバッシュを買ったのは俺やで。田村の勘違いや』とツッコまれて、驚きすぎて涙が引っ込みました(笑)」 田村さんは、自身の学生時代について「当時だからこそできた“大人との関わり方”だったのでは」と振り返る。 「あのころの僕は家庭環境の複雑さだけでなく、精神的にも不安定なところがありました。そういう部分も含めて、先生たちは気にかけてくれていたんだと思います。今は、先生と生徒がそこまで密な関係を築くのは難しいですよね。今だったら、生徒にバッシュを買ってあげるなんて大問題になるかも。あの時代だからこそ、乗り越えられた部分はたくさんあると思います」 そして、3人目の恩人は実の兄・研一さんだ。 「僕が高校生のころはマイケル・ジョーダンが大流行していて、バスケ少年はみんなジョーダンのアイテムを持っていたんです。でも、当然うちにはそんなものを買う余裕はなく、僕が使っていたジョーダンのリストバンドは友達のお下がりでした。そんな僕に、兄はジョーダンのTシャツを3枚もプレゼントしてくれたんです。自分だって遊びたい年頃なのに、弟の誕生日に1万円近くするTシャツを買ってくれて。当時の兄の気持ちを思うと、今でも涙が出てしまうんです」 当時、研一さんは何度も「部活だけはやめるな」と叱咤激励してくれた存在でもある。田村さんが自らの道に迷ったり、生きる気力をなくしてしまったりしたときに、いつも指針となる言葉をかけてくれたという。 「兄自身も高校まで野球部に所属していて“1つのことを最後までやり遂げる意味”を僕に知ってほしかったんやと思います。兄がいなければ、大人になってもバスケを好きでい続けられなかったでしょうね」 今回の新装版には、そんな研一さんとの「兄弟対談」も収録されている。 「気恥ずかしさもありましたが、兄の気持ちを直接聞ける貴重な機会になりました。(『ホームレス中学生』の)盛り上がりにあやかって兄も僕の次に『ホームレス大学生』という本を執筆したんですけど『そっちの新装版は出ないの?』と聞かれたので『予定はないみたいやで』と伝えておきました(笑)。兄は僕以上の苦労人なので、そちらもぜひ読んでほしいです」