学費1200万!父の退職金を進学費用に…偏差値40の9浪男性がそれでも大学受験を諦めなかった理由
「四当五落」 大学受験を試みた者なら、一度は聞いたことがあるだろう。4時間睡眠なら試験に受かるが、5時間も寝たら大学に落ちるという意味だ。大学受験が熾烈(しれつ)だった1990年は、大学志願者88.8万人のうち39.5万人が不合格となっている(出典:文部科学省「学校基本調査」)。かつて現役生と浪人生は、半々くらいの割合が普通だった。 【小学生に話題…!】登録者数90万人を超えるYouTubeチャンネルに出演する濱井さん しかし、令和となり大学も全入時代に突入。難関校である早稲田大学の2023年度合格者の現役割合は75.5%と、浪人生が3割以下になっている。そんな中、9浪のすえ、早稲田大学に合格し話題となっている人物がいる。それが、濱井正吾さんだ。 現在教育系ライターとして活動する傍ら「9浪はまい」の名称で、YouTubeやテレビなどメディア出演し活動している。また昨年の「東洋経済オンラインアワード2023」では、社会問題を鋭く切り取り世の中に議論を巻き起こしたとして「ソーシャルインパクト賞」を受賞し、注目を集めている。(以下、「」内の発言は全て濱井さん) 「難関大学に合格したら、人生逆転のきっかけがつかめるかもしれない」(同前) 濱井さんが大学受験を志したのは、高校時代のいじめが原因だという。しかし、推薦で進学した大阪産業大学(以下、大産大)も、高校とそう変わらない環境だった。 「キャンパス内でみんながたばこを吸っていて、吸い殻の投げ捨ても日常茶飯事。先生が生徒に向かって“おまえらみたいな猿がおるから、この大学はダメなんだ”って言っていました。治安も悪い地域だったのか、自転車も2回盗まれました」(同前) そのような現状から抜け出すため、濱井さんは龍谷大学に編入する。そこで人生が一変する出来事に遭遇した。 「当時は、いまいる環境から抜け出そうと精一杯でした。大学に編入して驚いたのが、生徒の髪が黒いこと(笑)。また、自分が周囲の学生と比べてレベルが低いということに気づきました。ボキャブラリーや、思考力にも差がありました。それはどうしてだろうと考えたときに、きちんと受験勉強をした人と編入試験で入学した人では違うと気が付いたのです。そんなこともあり、そのころの私の口癖は“偏差値40の高校を出ているから”でした。すごく後ろ向きでしたね。基礎学力の部分が解消されない限りは、就職しても自分の中でコンプレックスは払拭(ふっしょく)できないと強く感じました」(同前) 濱井さんは一念発起し、在学中から新たな大学入学に向けて、受験勉強を始めた。しかし、独学での受験勉強は手探りだったという。 「当時は数学のテキストに手を出したり、一問一答形式の問題集を解いたりしていました。でも、高校できちんと勉強をしていなかったので分かるわけがないのです。高校では古文や漢文も学ばなかったし、数学も教科書が1年に20ページしか進まないような水準の学校でした。そんな状況だったので、受験勉強自体がどうすればいいのか分からなかったですね」(同前) 濱井さんは、龍谷大学卒業後に入社した会社を10日で辞めている。大学受験に未練があったからなのだろうか。 「証券会社に入社したのですが、外務員試験という資格を取らなければならなかったのです。私は大学受験をやめたわけではなかったので、資格の勉強をすると受験勉強する時間がなくなると思って、会社を辞める決断をしました。でも田舎だったから、家に車が停まっているだけで、“あいつ、仕事に行っていないな”って近所の人に分かっちゃうんですよ。なので、退職届を出してから11日後には配置薬会社へ再就職しました」(同前) 濱井さんの最初の目標は国立大学だった。そのため、受験に必要な数学から歴史まで幅広く勉強をしなければならなかった。 「みんなが知っている大学に行きたかったのです。でも受験を経験していないので、どれくらい大変なのか理解していなかったですし、どの程度まで勉強すれば、どのレベルの大学に行けるのか分かっていなかったです。大学1年のときのTOEICが305点。3浪目でやっと535点になりました」(同前) 大産大に入学した18歳から仮面浪人を開始し、早稲田に入るまでに9年もの年月をかけている。9浪までして大学受験にこだわったのはどうしてだったのだろうか。 「一番の理由は、それまでの自分に自信を持てないから。龍谷大は、面接で“経済新聞の記者になりたい”と言ったら、受かりました。志が高かったのが良かったのだと思いますが、私のように運で入っただけでは周りの学生とレベルが違います。高校時代にいじめてきた人を見返すには、誰もが知っている大学じゃないとダメだなと考えていました。全国放送のテレビ番組に出るような大学って、東大、早稲田、慶應。でも慶應は東京の人が多いイメージだったので、兵庫県出身の私は早稲田を志望校にしたのです」(同前) 受験の知識が乏しかったため、予備校時代は勉強そのものに苦戦した。 「早稲田に受かるために何が必要なのかも分からない。地元の学生が通っていた塾に入ったものの、(進学校と比較した際)高校1年生の授業すら満足にやっていない人間が、発展問題についていけるわけがないのですよ」(同前) 大学の再受験のため、7浪目までは営業職として働きながら仮面浪人を続けた濱井さん。同時に学費もためていたという。 「仕事の終業時間が17時半なのですが、毎日19時半くらいまで残業をして、それから予備校に通っていました。7浪目の10月には、約300万円たまったので仕事を辞めました。当時は趣味などには費用を一切使わなかった。営業の仕事で何万も稼ぐのって本当に大変なのです。だから授業も真剣に受けていました」(同前) 現役合格した人よりもはるかに時間がかかっているが、果たして受験にまつわる費用はどれくらいかかったのだろうか。 「予備校に通い始めたのが6浪目からですが、予備校費用だけで約250万円かかっています。会社員をしながらためた300万は生活費なども含めて、すべて使い果たしました。大学に合格したときには、もうお金がなかったので父親の退職金を進学費用としてもらいました。父は私が28歳のときに亡くなったのですが、その前に“大学に進学したい”と伝えていました」(同前) まさに勉強漬けの生活だが、毎日、どれくらい勉強していたのだろうか。 「浪人9年目で、一番勉強したときは16時間、秋までは15時間で、最後は13時間までペースを落としました。睡眠時間を取らないとパフォーマンスが落ちてしまうので」(同前) その後、濱井さんが27歳のときに早稲田に合格。無事31歳で卒業を迎えた。9浪して早稲田に入学し、良かったことは何か聞いてみた。 「こちらが話した内容に対して、否定する人がいなかった。これが一番、大きい気づきでした。それまでは、必ず“でも……”と否定から始まる言葉で返す人が多かった。それどころか、相手に“それは違うんじゃない“と伝えると、急に怒りのスイッチが入って怒鳴り散らしたり、物を投げる人とかもいました……(苦笑)」(同前) 「話せば分かると犬養毅が言っていましたが、論理が通じないこともある」と、昔を振り返る濱井さん。それは自力で大学に合格したからこそ、言える本音だろう。 「多分、人に対してひどく当たる人って、余裕のなさからしてしまうのだと思います。自分も20歳くらいまでは似たような人間だったから分かるのです。そういう人間であることがすごく恥ずかしくて、直したかった。いまの日本の教育制度だと、高校入学時点である程度、自分の人生の進むルートが決められてしまう。それって不幸なことじゃないかなと感じるのです。私は、そのときの選択を一生後悔するって思ったので、学力を上げようと勉強しました。あのまま受験をしなかったら後悔していたと思うし、幸せな人生にはならなかった。だから9浪も後悔していないです」(同前) 取材・文:池守りぜね
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