週刊・新聞レビュー(1・6)「戦後70年 保守とリベラルの均衡を崩すな」徳山喜雄(新聞記者)
「安倍1強」 対抗勢力が影をひそめる
戦後70年。単なる数字上の節目というだけでなく、時代が大きく舵をきる年になるかもしれない。 戦後このかた保守とリベラルが、善きにつけ悪しきにつけ角を突き合わせながら、現代日本をかたち作ってきた。55年体制はその代表的なものだが、冷戦崩壊後も非自民・非共産連立政権の細川護煕内閣や鳩山由紀夫内閣などが誕生し、政党政治がそれなりに機能してきたように思える。時代の高揚感もあった。 それがここに至り、機能不全ともいえる閉塞感に覆われている。「安倍1強」といわれる政治状況になり、安倍晋三首相が率いる与党勢力に対抗できる野党は存在せず、ハト派の大物たちが引退した自民党内からも対抗勢力が影をひそめた。 産経新聞1月4日朝刊のトップ記事をみて、改めてこの現実を実感した。「連続で2期6年までとなっている自民党総裁の任期を『3期9年』まで延長すべだ」とする声が首相周辺で浮上しているというのだ。 メディアとりわけ新聞報道の世界に目を転じてみよう。政治勢力としてのリベラルが結集されないという状況のなか、朝日新聞を中心とするリベラル系メディアが一定の言論空間を維持し、拡張する保守の対抗勢力となってきた。 しかし、2012年12月の安倍政権の発足以降、軌を一にするかのように保守系メディアが主に歴史認識をめぐって朝日バッシングを展開。昨年夏以降、朝日は慰安婦報道の一部取り消し、池上コラム掲載見合わせ、原発事故に関する「吉田調書」報道の取り消しをすることになった。 これは二極化しながらもなんとか均衡を保っていた、保守対リベラルの構図を崩すほどのインパクトをもたらした。このままリベラルの主張が減退しつづけるようなら、保守的な考えだけで動く「独善政治」を招き、歪んだ社会になりかねない。
「国益と個人の利益は別だ」
朝日バッシングの代表的なものは、「朝日新聞の慰安婦強制連行報道は世界に拡散し、日本の名誉を傷つける深刻な事態を招いた」とする考え方だ。この一文は産経新聞の論説委員長が元旦紙面の1面に書いたものだ。 これに対し、朝日、毎日新聞ともに歴史認識をめぐる社説を掲載した。 朝日は「歴史が自分たちの過去を知り、今の課題を乗り越えて未来を切り開くための手がかりだとしたら、国ごとの歴史(ナショナル・ヒストリー)では間に合わない」とし、米ハーバード大学名誉教授の歴史家、入江昭さんが唱える「グローバル・ヒストリー」の重要性を紹介した。 「国や文化の枠組みを超えた人々のつながりに注目しながら、歴史を世界全体の動きとしてとらえ、自国中心の各国史から解放する考え方だ」「東アジアに垂れ込めた雲が晴れないのも、日本人や韓国人、中国人としての『自分』の歴史、ナショナル・ヒストリーから離れられないからだろう」 毎日4日朝刊の社説も「自分史に閉じこもるな」との見出しにし、「歴史をプロパガンダに利用する中国の姿勢は容認し難い。しかし、挑発に乗って日本の政治家が戦前を肯定するような言動をしたら、孤立するのは日本の方だ」と訴えた。 安倍首相の側近政治家が「70年という節目の年を日本の名誉回復元年にすべきだ」と主張し、首相自身も「侵略の定義は定まっていない」と国会で答弁し、波紋が広がった。何をどのようにして名誉を回復したいというだろうか。 朝日は「国益を害した」と批判するのも保守系メディアの典型的な言説だ。これについての曽我部真裕・京都大教授の日経(12月30日朝刊)へのコメントが目を引いた。 「国益と個人の利益は別だ。メディアも含め、民間に国益に従った行動が求められる理由はない」「政府方針とほぼ同一の意味での国益に反したという今の批判は筋違い。メディアも自発的に協力したかつての戦時と同じ構造だ。意図的でないと信じたいが、残念だ」 戦後70年を迎えた2015年は、多様な価値観と意見が共存する社会を維持できるかどうかの岐路の年ともいえよう。(2015年1月6日) ----------- 徳山喜雄(とくやま・よしお) 全国紙記者。近著に『安倍官邸と報道―「二極化する報道」の危機』(集英社新書)。