2月22日は「竹島の日」 竹島問題は今どうなっている?
1952年に韓国側が「李承晩ライン」宣言
日本は1951年に米国などの連合国とサンフランシスコ講和条約を結び、朝鮮の独立を承認。日本は朝鮮半島と済州島、鬱陵島などに対する権利を放棄しました。この過程で韓国側は竹島を放棄の対象にするように求めましたが、米国は「この島が朝鮮の一部として取り扱われたことはない」と拒否。このため、日本は「竹島を放棄していないのだから日本領だ」としているのですが、韓国はそうではありません。「名前が出ている島は例として挙げられただけだ。日本の敗戦によって、植民地として奪われた領土はすべて韓国に戻された」と主張しているのです。 そんななかで、1952年には当時の李承晩大統領が周辺海域に線を引き、「この線の中は韓国の領海だ」と一方的に宣言します。「李承晩ライン」と呼ばれるもので、この線の内側には竹島も含まれていました。これ以降、日本漁船の拿捕が始まり、4000人近い漁船員が抑留され、5人が死亡しました。1954年からは竹島に韓国側の警備隊が駐留するようにもなりました。日本は不法占拠として国際司法裁判所に提訴することを求めましたが、韓国側は拒否。国際司法裁判所というのは紛争当事国の双方が了承しないと審理に入れない仕組みで、韓国は「領有権をめぐる問題は存在しない」として提訴を認めなかったのです。
1965年に「日韓条約」を結ぶ
その後も緊張状態が続きました。日韓両国は竹島問題を棚上げしたまま1965年には日韓条約を結び、関係を深めていきましたが、韓国が周辺海域を「排他的経済水域」だと主張していることで、日本の漁船と韓国側でトラブルになるケースが増えたのです。竹島周辺で漁をしていると、韓国の警備艇が来て追い出されることもありました。 そこで日韓両国で話し合い、双方の漁船が排他的経済水域でに漁業ができる日韓漁業協定を結びましたが、それでも日本の漁船は自由に漁業ができません。2005年に島根県が「竹島の日」を制定したのは竹島が編入されて100年になることを記念したものでしたが、背景には排他的経済水域の問題があり、「竹島が韓国に占領されてしまっている事実を多くの日本国民に知ってもらいたい」という狙いがあったのです。