無料だったお茶が800円で売れた…「価格創造」の挑戦続ける佐賀の観光 西九州新幹線開業も追い風
雲一つない秋空の下、佐賀県嬉野市西部の標高約390メートルの丘陵に広がる茶畑で、地元茶農家5代目の永尾裕也さん(46)が、ワイングラスに琥珀(こはく)色の液体を静かに注ぎ入れた。「自家製の紅茶です。水出しの豊かな香りを楽しんでください」 【写真】嬉野茶を飲む藤井聡太王位。「おいしい」と高く評価した 10日に静岡県掛川市から視察に来た市議3人は、注がれた茶を一口含むとため息を漏らした。1時間かけて、永尾さんが生産、加工したお茶3種類と、地元のスイーツ2品を楽しんだ。 一連の茶空間体験「ティー・ツーリズム」の料金は1人1万5千円。地元有志でつくる「嬉野茶時」が提供する。2016年夏に老舗温泉旅館「和多屋別荘」で開いたイベントで、無料が当たり前だったお茶を1杯800円で出し3日間で約80万円を売り上げた。地元文化の高付加価値化に取り組むきっかけになった。 □ □ 観光庁が16日に発表した今年1~9月の訪日外国人の宿泊や買い物への消費額(1次速報値)は5・8兆円で、過去最高だった23年の年間値を既に上回った。政府は30年に15兆円の目標を掲げ、地域への波及効果も期待する。 嬉野市は、コロナ禍に策定した観光戦略で、32年度の目標値を観光客195万人、消費額175億円に定めた。観光業の回復は予想を上回り、西九州新幹線の開業も追い風となり、策定時と比べ「宿泊単価が6割増しの1人1万8千円に、人流も1割以上増えた」(同市)。市は近く目標を修正するという。 嬉野茶時の統括プロデューサーで和多屋別荘の小原嘉元社長(47)によると、催しや体験の参加者は欧米を中心に外国人が約2割を占める。「ターゲットはその町にしかない歴史や産業、文化へのお金を惜しまない人たち」。来年は茶空間体験を1人2万5千円に値上げする予定という。嬉野の“価格創造”は続く。 □ □ 観光業の好況を背景に、平日も観光客の姿が絶えない同市嬉野町中心部の商店街。閉じたままのシャッターや駐車場になった店舗跡地も目立つ。嬉野温泉商店街協同組合によると、約30年前に約70あった加盟店は32まで減少。飯田和道事務局長(67)は「原因は経営者の高齢化。10年後はさらに7、8店が廃業する可能性もある」と話す。 約半世紀、衣料品店を営む太田とく子さん(73)は「あと2年で店を閉めるつもり」という。年齢に加え、郊外型スーパーの進出や近くにあった大型病院の移転などの影響も大きい。「お客も店と一緒に年をとる。今は地元の人向けの店を続けるのは本当に厳しい」 観光需要を取り込んだ事例もある。嬉野茶時に菓子を提供する「うれし庵」の澤野典子さん(50)は17年、実家の老舗呉服店を改装して厨房(ちゅうぼう)とカフェスペースを設けた。観光客に「この辺で休憩できる店はないか」と度々尋ねられたのがきっかけだった。パティシエの経歴を生かし、今や開店直後から国内外の客が集まる人気店になった。 商店街組合も事業承継や業態変更を検討する店には専門家や国の補助制度を紹介するが、手続きの煩雑さから評判は芳しくない。後継者は不足し、店舗の多くが住居も兼ねていることなどから家族以外の他人が継ぐことも難しい。町の活性化につなげる道筋はまだ見えない中、太田さんは願う。「観光客は増えたのだからチャンスはあるはず。商売に挑戦したい若者には素早く柔軟に支援ができる町になってほしい」 (糸山信)