開拓の功績、絆結ぶ 鹿児島から派遣の塚田喜太郎 農業指導しコメ収量10倍に 古里有志、福島県郡山市で交流へ
明治初期に現在の福島県郡山市で行われた安積開拓で、開拓者に農業指導した農家塚田喜太郎(きたろう)の功績に光を当てる取り組みが動き出す。政府高官に請われて60歳で鹿児島市から郡山市に派遣され、新たな農法を取り入れてコメの収量を10倍に増やし、原野の開墾に晩年をささげた。ゆかりがある鹿児島県と福岡県の有志が塚田の子孫らとともに9月2日に郡山市の墓所を訪れる。地元の安積野開拓顕彰会員らと新たな絆を結び、末永い交流につなげる。 安積開拓の初期、入植した旧士族は不慣れな土地や経験のない農作業で十分な収穫を得られず、困窮を極めていた。政府高官は惨状を打破するため、旧薩摩藩から表彰を受けるほど熟練の営農指導者だった塚田に白羽の矢を立てた。1880(明治13)年、鹿児島市から約1700キロを歩き、郡山市に赴いた。 気候や土壌の違いに戸惑う中で稲作に取り組み、骨粉を肥料とするサツマイモ栽培から着想を得て、独自の農法を発案。乾田にもみをじかまきして骨粉を混ぜて耕作すると、コメの収量は1反(約10アール)当たり1斗5升(約23キロ)から、10倍となる4俵(約240キロ)へと飛躍的に増えた。
塚田は開拓に入って10年後、古里に戻らないまま生涯を終えた。郡山市の住居跡近くに顕彰碑が設けられ、墓は遺言に基づき郷里のある南西を向いて建てられた。 安積開拓実現に尽力した大久保利通の出身地である鹿児島市の有志が2019年、大久保の功績をたたえる郡山市の大久保神社を訪れた際、市内の龍角寺にある塚田の墓を紹介された。古里で知られていない偉人を再評価する思いが高まり、顕彰プロジェクトの発足に至った。 趣旨に賛同した有志約30人は来月2日、龍角寺を訪れ、灯籠や塚田の功績を表した陶板を寄贈する。有志が制作した朗読劇「老農塚田喜太郎物語」を披露し、遺徳をしのぶ。 プロジェクトは功績をまとめた記念誌を約3千部発行し、鹿児島、郡山両市の学校などに配布する構想で、幅広い世代に発信を目指す。将来的に両市の子どもの相互交流への発展を見据える。 人工知能(AI)を使って塚田の肖像画を制作し、ホームページを開設した。クラウドファンディングなどで寄付金を募り、鹿児島市にある生誕地近くに顕彰碑を建立する計画だ。