高校生の思いが結実!戦争の悲惨さを語り継ぐ「なごや平和の日」が歩み出す
2024年5月14日の昼下がり、名古屋市内であるイベントが、しめやかに開催された。「なごや平和の日」初めての式典。出席したおよそ100人が、名古屋空襲などの犠牲者を追悼した。
名古屋城が焼け落ちた日
なぜ「5月14日」なのか。終戦の年となった1945年(昭和20年)、4月から7月にかけて、名古屋には米軍による空襲が続いた。名古屋は航空機産業の拠点であり、軍用機も生産していたため攻撃の対象となったのである。合わせて63回の空襲によって、8000人近くが犠牲になった。中でも、最も数多くのB29機が飛来して、市街地への大規模な空襲が行われ、国宝の名古屋城までが焼け落ちた日、それが「5月14日」だった。2024年から「なごや平和の日」に制定された。名古屋空襲の犠牲者を追悼し、戦争の悲惨な体験を次の世代に語り継ぐことで、平和の大切さをあらためて確認しようという目的である。
野球名門校の思い
この「なごや平和の日」が制定されたきっかけは、名古屋の高校生たちが声をあげたことだった。名古屋市名東区にある東邦高校。高校野球の強豪校として全国的にも有名である。戦争当時は商業学校で、生徒や職員が軍需工場に動員されて戦闘機に使うエンジンを作っていたが、空襲に遭って合わせて22人が亡くなった。東邦高校によると、戦後50年の1995年(平成7年)から同窓会が中心となって、戦争の犠牲になった友人や職員の慰霊を行ってきた。
生徒会が動いた10年間
そんな伝統を受けて、10年前の2014年に「この日を名古屋市全体の平和の日にしてはどうか」と、生徒会が中心となって、名古屋市に対して働きかけをスタートした。30以上の私立高校からも賛同が得られて、請願書が提出された。名古屋市は有識者会議の意見も踏まえて、2024年の春、「なごや平和の日」を制定するという条例を市議会で可決した。
プロ野球のゲームでも追悼
5月14日に営まれた初めての式典に続いて、5月25日には、バンテリンドームで行われる中日ドラゴンズと東京ヤクルトスワローズとのゲームが「なごやピースデー」となる。試合開始前に選手による平和メッセージの上映や黙とうが予定されている。実は、東邦高校の生徒や職員が空襲の犠牲になった軍需工場は名古屋市東区、現在は中日ドラゴンズの本拠地であるバンテリンドームが立つ場所にあった。空襲の被害を伝えるプレートも設置されている。そこには「平和の礎となられた人々を忘れません」という誓いの言葉も刻まれている。