昌平GK佐々木智太郎「プロとしての責任を持ち、子どもたちの目標になれるよう精進したい」
Jリーグ清水エスパルスへの来季加入が内定した埼玉・昌平のGK佐々木智太郎が11月20日、同校で会見し「プロとしての責任を持ち、子どもたちの目標になれるよう精進したい」と抱負を述べた。昌平からは2017年に初めてJリーガーが誕生し、佐々木選手で19人目。GKは22年にアルビレックス新潟入りした西村遥己に続いて2人目となる。 【フォトギャラリー】記者会見の風景 佐々木は8月と9月に清水の練習に参加。22年のワールドカップ・カタール大会に出場した元日本代表の権田修一は目標にするGKのひとりだが、「色々アドバイスをいただいたほか、すごく気に掛けてくださりました」と感謝する。清水がJ1に昇格できなかったら入団しなかったか?と記者に尋ねられると「J1でもJ2でも素晴らしい環境の清水でプレーしたかった。迷いはありませんでした」と語った。 4年間在籍した権田は今季限りで清水を退団する。 会見に出席した清水の反町康治ゼネラルマネジャー(GM)は、「来季は高校生4人の加入が内定している。彼らがクラブの屋台骨となって活躍してくれたらと思う。佐々木選手は権田君からの評価も高く、まじめで意思の固いプロ志向のGKですね」と期待を寄せた。 今春就任し、昌平を夏の令和6年度全国高校サッカーインターハイ(総体)初優勝に導いた玉田圭司監督は、柏レイソルや名古屋グランパスのほか、日本代表でも活躍した元Jリーガーだ。大先輩としてプロの心得を求めると、「いつでも成長することを忘れないでほしい。それを怠れば人間は衰退するだけ。佐々木は常に学びたがっているし、ミスを引きずらずにプレーできる。プロ向きですね」と述べた。 昌平は冬の全国高校選手権との2冠に照準を合わせたが、先日の第103回全国高校サッカー選手権埼玉予選準々決勝で4失点し聖望学園に屈した。それだけに佐々木選手は「日本の偉大なGKを超えるため、日々の練習に励む。プロは夢と希望を与える仕事なので(自分の)活躍する姿を見た人たちが、明日の仕事を頑張れるような選手を目指したい」と抱く大志を披露した。 188センチの佐々木選手は、昌平の下部組織である中学生年代の強豪街クラブ、FC LAVIDAの出身。同クラブでは3年間控えで公式戦には1試合しか出場できなかったが、昌平高に入学すると2年生の1月からレギュラーの座をつかんだ。「試合に出るチャンスをつかむため、中学時代の2倍トレーニングに励み、日常生活も見直しました」と正GKまでの道のりと要因を明かした。 中学時代から6年間、GKとして互いを高め合ってきたのが白根翼だ。FC LAVIDAでは白根が正GKだったが、昌平高では佐々木が守護神の座をつかんだ。 大学進学後はサッカーを続けるか未定だという白根は、「あっと言う間の6年だったが、トモ(佐々木)と一緒だったから自分も成長できた」と話すと、「プロでも活躍してほしい。清水で試合に出るようになったら応援に行きます。日本代表でプレーする姿も見てみたい」と好敵手であり、大事な友の門出を祝った。 佐々木は戦況によって柔軟な判断をし、試合展開を読み切る力がある。ハイボールの処理とシュートストップに的確なコーチングが持ち味だ。 2人のプロGKを育て、6年間佐々木を指導した加藤大地GKコーチは、「例えば1年生の頃はクロスが苦手だったが、練習を重ねて課題を解消していった。できないことばかりだったのに今は自信を持ってプレーしている。誰よりも練習したからです」と愛弟子のプロ入りに目を細めた。 昨年度の第102回全国高校サッカー選手権では、PK戦にもつれ込んだ大津(熊本)との3回戦で相手のシュートを1本阻止。3度目のベスト8進出の原動力となり、U-17日本高校選抜に選ばれた。今夏の総体では、1回戦から決勝までの6試合にフル出場。神村学園(鹿児島)との決勝では13本のシュートを打たれて2点を失ったが、再々のピンチに好守を連発して逆転勝ちを呼び込んだ。9月にはU-17日本代表に初招集され、第26回国際ユースin新潟に2試合出場した。 昌平から直接Jリーグ入りしたのは16人で、大学経由は3人。現在サンフレッチェ広島のMF松本泰志、新潟のFW小見洋太がJ1で活躍している。 清水は1993年に開幕したJリーグ創設メンバーで、99年のセカンドステージ制覇に続き、96年のナビスコカップ(現ルヴァンカップ)と01年度の天皇杯を制した。16年に初めてJ2に降格し1年で復帰したものの23年には再び陥落。しかし今季のJ2で初優勝し、来年は3年ぶりにJ1の舞台に戻ってくる。 (文=河野正)