北大阪急行電鉄「箕面延伸」はこうして実現した 地元待望、大阪メトロ御堂筋線と一体直通運転
発展の大きな契機となったのは、1960年代に開発された千里ニュータウン(吹田・豊中市域)で、阪急千里線が1967年3月に北千里まで延伸された。次いで阪急両路線の間に北急が千里中央と万博に延びた。北千里や千里中央が結節ターミナルとなってバス路線網が巡らされ、萱野や新船場あたりがどんどん発展していった。だから、今回の延伸区間の車窓は、意外なまでに既成市街地ということになる。 ■南北に集中して東西が弱かった箕面のバス路線
ちなみに箕面市の東端、茨木市との市境付近には、下って1998年10月、大阪モノレール彩都線万博記念公園―阪大病院前間、次いで2007年3月に阪大病院前―彩都西間が開業(駅は吹田・茨木市域)している。したがって現在、阪急箕面線から大阪モノレール彩都線まで約6kmの間には、主要な南北軸が複数並ぶ姿となっている。 箕面市は市街中央部の萱野を新都心と位置付けており、ショッピングモールにしても今回の延伸に合わせた開業ではない。もちろん路線計画があっての進出ではあるが誕生は2003年で、すでにランドマークとしての存在感を示していた。なお、「キューズモール」の名が示すところ、そのデベロッパーは東急である。
また、箕面萱野へ向けて列車が高架線に上がると、千里中央までのように大規模マンションやオフィスビルに囲まれる光景ではなく、市街地が広く見渡せるので、その違いにも驚かされる。それはもともと阪急箕面線沿線が職住分離の理想的郊外住宅地として育まれたことに起因し、箕面市は乱開発を避けるために制限を設け、自然環境ゆたかな市域全般に高層建築を許容していない。そのため、住宅地は戸建て中心に平面で広がることになったのだ。
一方、「北大阪急行線延伸事業」が具体的に動き始めたのは、2004年の近畿地方交通審議会第8号答申になにわ筋線などと合わせて登載されてからである。ただし、登載に至るには事前の活動がある。中心となったのは箕面市だ。 市は、市街地が東へ長く広がるのに阪急箕面線以外に鉄道はなく、バスに頼る格好であった。バスは熊手状に千里中央に集中するので南北交通ばかり過度に集中し、東西軸の公共交通が乏しく、府下平均に比べてマイカー依存率が高かった。それを課題として、東西の真ん中である萱野への鉄道延伸を1985年の市の総合計画に採択した。萱野を新たなターミナルとし、東西両方向へのバス交通を充実させるとのシナリオだ。