「アメリカ衰退論なんて間違いだ!」国際主義者・渡辺恒雄氏が元部下に力説した慧眼と洞察力
新聞人としてわが国マスコミ界、政界に多大な影響力を及ぼしてきた渡辺恒雄氏は、同時にまれにみる国際主義者でもあった。
日本のリベラル派と米国の穏健派を結集
読売新聞社員がふだんから持ち歩く「社員手帳」の表紙をめくると、次のページに二重枠で囲まれた「読売信条」が刷り込まれている。 そこには「責任ある自由の追求」「個人の尊厳と基本的人権に基づく人間主義」に続き「国際主義に立ち、日本と世界の平和、繁栄に貢献」が掲げられている。 2000年1月1日に制定されたもので、当時、社長・主筆だった渡辺氏のかねてからの考えが正確に反映されていることは言うまでもない。 その渡辺氏には、筆者が正式入社前のワシントン支局助手だった1969年当時から、とくに国際主義の重要性について懇篤に教えを受けてきた。 今でも鮮烈な記憶が残っているそのころのエピソードの一つが、ワシントン支局長の立場ながら独自の発案で実現させた「日米ハト派議員会議」だった。 2日間の日程でカリフォルニア州サンタバーバラのビルトモア・ホテルで開催され、筆者も支局長の助手として現地まで帯同することになったが、日本側からは、藤山愛一郎、赤城宗徳、宇都宮徳馬、黒金泰美といった自民党大物代議士、米側からはマイク・マンスフィールド(モンタナ)、ヘンリー・ジャクソン(ワシントン)、マーク・ハットフィールド(オレゴン)、ジョージ・マクガバン(サウスダコタ)らいずれも民主、共和両党上院議員のなかでも著名で思想的には穏健派で知られた議会人たちが参集したユニークな企画だった。 当時から、保守政党としての自民党と深くかかわりのある敏腕記者として名をなしてはいたが、東京からリベラル派の議員たちを呼び寄せ、同じ穏健派の米議員たちとの合同会議をひそかに準備し、見事に実現させたその発想、行動力と辣腕ぶりに驚かされた。
日米双方の議員たちがきたんなく交わした発言内容を深夜にかけて二人で一緒にテープを起こし、他紙の追随を許さない朝刊見開き2ページの紙面を翌日飾った時の達成感は今でも忘れられない。 さらに、ワシントンへの帰りの飛行機の中で、こんな自らの信念も披露した。 「日本の政治家は保守一辺倒ではだめだ。つねに世界に目を開いていなければならない。有能な政治家であればあるほど、目まぐるしく動く国際情勢を肌で感じておく必要がある」。今にして思えば、当人はすでにそのころから、わが国のあるべき立ち位置として、“井の中の蛙”ではなく、『世界の中の日本』を強く意識していたのだ。