60年前にもあった「ジョブ型雇用」議論、日本で見捨てられた当然すぎるワケ
● この10年の賃上げは 政府主導で行われた 周知のようにここ数年来、官製春闘といわれるような政府のてこ入れの下で、ベースアップが復活しつつあります。とはいえ、このままかつてのように毎年定期昇給を上回るベースアップが繰り返されるようになれば、それで万々歳というわけにはいきません。 2024年春闘でも見られたように、政府の強い賃上げ要求に逆らえずに、労働組合側の要求を超える高額の回答を企業側がするなどという事態は、利害の対立する二者間での交渉でものごとを決めていこうという労使関係の基本枠組みに反するものだからです。 なぜそんなことになるのかといえば、定期昇給という形でほうっておいても個人の賃金が上がっていくからということに加えて、ベースアップという賃上げ方式そのものに潜む企業別組合にとっての困難性があるからです。 ベースアップ概念の基になった賃金ベースとは賃金を上げないための概念でした。その賃金抑制のための概念を逆手にとって、賃金ベース打破=ベースアップを要求するというスタイルが40年にわたって続いたのですが、その根っこには企業単位の支払能力という枠が厳然として存在します。
戦後期の急進的で対立的な労働運動ならともかく、高度成長期以後の穏健で労使協調的な労働組合には、企業経営を圧迫する人件費そのものの膨張を要求することはそもそも困難なのです。第2次安倍政権、岸田政権と、過去10年の賃金引上げが官邸主導による官製春闘とならざるを得なかったのも、ベースアップという日本独特の賃上げ方式の本質に根ざすものであったというべきでしょう。 ● 1人ずつ賃上げ額を決める 個別賃金要求の方式 では今後の賃上げはどういう方向に向かうべきなのか。企業単位の支払能力という枠とは無関係に、「この労働者にはこれだけの賃金を支払え」という形で要求を組み立てることを、個別賃金要求といいます。 実は戦後日本の賃金闘争の歴史は、ベースアップを主旋律としながらも、常にそれに代わるものとして個別賃金要求が提起され続けた歴史でもあります。労働者1人ひとりにとっては平均額でしかない企業全体の人件費の増加分をベースアップとして要求するのではなく、個々の労働者の銘柄ごとに、彼はいくら、彼女はいくらと具体的な賃金額を決めて要求していくというスタイルです。 問題は、その「銘柄」です。