「独裁者が独裁者と呼んだ日」読売グループ“ドン“である“ナベツネ”さんの死去をヴェルディを巡る問題でバトルを繰り返したJリーグ初代チェアマン川淵三郎氏が追悼
「Jリーグ開幕当時、クラブの呼称問題などで侃々諤々の論戦を繰り広げたことが懐かしく思い出されます。渡邉さんとの論争が世間の耳目を集め、多くの人々にJリーグの理念を知らしめることになりました。恐れ多くも不倶戴天の敵だと思っていた相手が、実は最も大切な存在だったのです。まさに渡邉さんはJリーグの恩人。心から感謝しています。在りし日のお姿を偲び、ここに謹んで哀悼の意を表します」 読売新聞社は1998年11月にヴェルディの経営から撤退した。渡邉さんはリリースのなかで、日本リーグの読売クラブ時代から支えてきたヴェルディからの撤退を、当時のJリーグに所属していた18クラブに共通する経営状態を踏まえてこう語っている。 「所属する18チームの全てが莫大な赤字に苦しんでいる状態です。(中略)これは川淵チェアマンの誤ったリーグ運営の結果であります」 ヴェルディは一方で、2001シーズンにホームタウンを東京都へ移転。開業した東京スタジアムをホームスタジアムとして、東京ヴェルディとして戦いをスタートさせた。移転が承認された背景には、当時の川淵チェアマンが「観客数が増えるのならば、移転はむしろ歓迎すべきこと」と柔軟な姿勢に転じた点も見逃せない要素になっている。 そして、2009シーズンからは長くJ2で戦い、その間には日本テレビまでもが経営から撤退したヴェルディは、16年ぶりにJ1の舞台へ戻ってきた今シーズンは6位と躍進。さらに平均観客数2万976人と20チーム中で11位と奮闘した。 今月8日のJ1リーグ最終節からほどなくして死去した渡邉さんは、先述した川淵氏との対談のなかでこんな言葉も残している。 「あの頃川淵さんは、Jリーグは地域単位のスポーツ振興を想定していて、いろいろな理想を提唱していた。一方で当時の僕は、企業単位のスポーツしか考えられない面があったのでしょう」 お互いが信じる道を貫いたからこそ、一時は犬猿の仲と表現された。地域密着理念をある意味で認めた渡邉さんの言葉は、日本トップリーグ連携機構会長として、88歳の米寿を迎えたいまもさまざまな発信を続ける川淵氏の記憶に鮮明に焼きついている。 (文責・藤江直人/スポーツライター)