「着物は、不思議と運を呼び寄せてくれます」、作家・桜木紫乃さんの着物の時間。
自分では絶対選ばない華やかな一枚。意外といいかもしれないと思ってます。
「母がね、着物が大好きだったの」 作家の桜木紫乃さんがそう話し始めた。生まれも育ちも北海道の、道産子。作品の舞台のほとんどをその北海道に取って、市井の人人の人生の哀歓を書いてきた。 「実家は釧路で、私が幼い頃は小さな理容室を営んでいました。着物を買うような余裕はなかったから、近所の和裁の先生が『これは着ないから』とくださった数枚を、母は大切に大切に着ていて。水色の地に扇模様が散った小紋が今でも目に浮かびます」 そんな母を見て育ったからか、桜木さんも自然と着物を大切に思うようになった。浴衣の仕立てを習い、結婚後、長女を授かると、成人式の振り袖のためにこつこつと貯金も続けた。やがて小説家としてデビュー。2013年の直木賞の授賞式には着物で臨んだ。 「夏の式だったから、絽の訪問着。黒地の胸のあたりに雪輪模様がぽつぽつと散って、裾模様は一転華やか。前髪をグッと立てたんですけど、なぜか“姐さん”って言われました(笑)」 シックな着物が好みで、ついモノトーンのものを選ぶ。気がつくと“極妻”風になっているという。 「なかでも一枚すごいのがあるんです。岩下志麻さん監修の訪問着で、濃紺地に葡萄の裾模様。葡萄は縁起柄ですが、縁起にもほどがあるというほど、とても大きいの。でも、購入直後に作品の映画化が決まったんです」 そんな桜木さんだから、今日の着物は手持ちの中で最もたおやかな一枚だ。加賀友禅の名工・百貫華峰(ひゃっかんかほう)さん作の、四季花鳥模様の訪問着。カルーセル麻紀さんから贈られた。 「麻紀さんは同じ釧路の出身で、長く憧れの人でした。私の本を読んでくださっていたことから交流が始まって、やがて彼女をモデルに2作、小説を書くことになりました。そうしたら、ある時『あなた、古典柄の華やかな訪問着、持ってないでしょ』ってこの反物をくださって。『帯は金糸銀糸入りのものじゃなきゃ合わないわよ』なんて、四季の花を大きく織り出したこの袋帯も一緒に。LGBTという概念がかけらもなかった時代から、一人で道を切り開いてきた方でしょう。この着物も運が強くて、仕立てたとたんに中央公論文芸賞を頂くことになって。ありがたく授賞式に着用してお披露目しました」