広島名手が甲子園で抱いた“恐怖” 忘れぬ高2での激怒…打席で「バットぶん投げた」
活躍できず敗退…地に足がついていない状態で終わった初の聖地
振り返れば、それがびっくりの内容だったという。「尾崎さんは“敦賀気比と決勝で当たります。接戦になります。延長戦に入ります。右中間に僕が打ってギリギリ1点差で勝ちます”みたいなことを書いていた。まさに、すべて同じことになったんですよ。(延長10回に)尾崎さんが右中間に(勝ち越し三塁打を)打ったんです。すごいなぁ、メンタルトレーナーって思いましたね」。好投手・内海を攻略した裏にあった“予告シナリオ”も強烈な思い出になっているわけだ。 夏の甲子園は1回戦で浜松商(静岡)に1-2で敗れた。天谷氏は福井大会決勝同様、「7番・右翼」で出場したが、活躍できなかった。「状態が戻らなかったのでね。僕の悪い癖というか(県大会初戦の)出だしが良ければポンといったんでしょうけど、つまずいたら修正するのに時間がかかるタイプでしたからね」。甲子園の雰囲気にものまれたという。 「打席に立った時に、こんなに広い球場があるのかと思った。何かあっけにとられて気付いたら終盤だった感じ。浮足立って地に足がついていない状態で終わったのが初めての甲子園でした。あ、そうそう、バントしようとしたらインサイドに来てデッドボール。怒ってバットをぶん投げたことだけ覚えています。それ以外は覚えていない。緊張していたし、夢というか、憧れで目標にしてきた甲子園でしたから」 祖父・幹男さんが見たいと言っていた孫である天谷氏の福井商のユニホーム姿での甲子園出場。祖父が亡くなった小6の時からその願いをかなえようと頑張ってきて、先輩のおかげとはいえ、ついに実現させた。「2年生の夏に甲子園を経験できたのはむちゃくちゃ大きかったです」。今度はもう一つ上のランクを目指すきっかけにもなった。そのバット術をさらに進化させ、高3の2001年は春夏連続で甲子園切符をつかむことになる。
山口真司 / Shinji Yamaguchi