ライオネス飛鳥「会社から“おまえは強いけれど、面白くない”と」「長与千種というレスラーと融合して問題が解決できた」クラッシュギャルズ誕生秘話
順風満帆に見えるも「会社から“おまえは強いけれど、面白くない”と言われた」
あくまでスター選手の街道を駆け上がっていたように見えた飛鳥さんだったが、全女の経営陣からは「おまえは強いけれど、面白くない」と言われ悩んでいたという。 「全日本シングル王者のベルトも獲っているのに、会社からずっと面白くないレスラーだと言われていた。こんなに一生懸命練習しているのにどうして……と内心では感じていました。当時は、プロレスのエンターテインメント性を理解していなかったので、勝敗がはっきりしているアマチュアのプロレスリングに行けばよかったかなと後悔もしました」 飛鳥さんにとってレスラーとしての最初の転機となったのが、『極悪女王』でも描かれていた長与千種選手とのシングルマッチ(1983年 全女開幕戦 ライオネス飛鳥vs長与千種 全日本選手権)だ。 「ドラマでは、練習生が一斉に入ってきたのですが、千種はちょっと遅れて入団してきました。あまり話したこともなかったけれど、シングルで対戦することになった。当時、彼女はいろいろな悩みとか問題を抱えていたみたいでしたが、千種から“自分たちがビューティ・ペアのようなトップを獲るためには、待っているだけだったら何年かかるかわからない。だから一か八かで今までにない女子プロレスをやらないか”って声を掛けられたんです」 『極悪女王』のなかでは、長与千種選手のターニングポイントとなる重要な試合として描かれている。ライオネス飛鳥さんのなかでも、思い入れがある試合だ。 「それまでの女子プロレスの試合って、華麗さを求められていたのですが、千種と“それを変えるような、いわゆる殴る蹴るという激しい試合をやろう”と言ったんです。それがクラッシュギャルズの原点となった」
ライオネス飛鳥の最初の転機は「長与千種というレスラーと融合してクラッシュギャルズになったこと」
──千種さんとの試合は、転機でしたか? 「プロレスラーになって最初の苦悶(くもん)は、会社から“おまえは強いけれど、面白くない”と言われたこと。どうすれば良いのか、出口がぜんぜんわからなかった。でも長与千種というレスラーと融合してクラッシュギャルズになったことで、問題が解決できた。 いま思えばそれまでは、本当の意味でのエンターテインメントがわかっていなかった。当時は、バブルがまだ残っていたのもあって活気があったし、全女の試合も、地上波で毎週放送されていました。そういうタイミングが全部マッチしたから、クラッシュはアイドルのようになったのではないかな」 ──クラッシュギャルズの人気が出たときは、どのような気持ちでしたか? 「プロレスラーになったときは、“もっと有名になりたい。親に家を買ってあげたい”という目標があった。けど、いわゆる金もうけのために入団したわけではなかったんです。でも今となったら、会社がもうけすぎだったかなって思うよね(笑)。 当時は、どれだけ芸能活動をしていても、テレビ出演料として芸能手当てが10万だけだった。写真集やビデオなどほかの仕事もやるようになってお金が入るようにはなっていきましたけれど。実際は、会社がどれくらいの金額で契約していたかはわからない。お金に対してはそんな感じでしたね」 ドラマでもターニングポイントとして描かれていた長与千種さんとのシングルマッチ。飛鳥さんは、『極悪女王』で自身の役を演じた剛力彩芽さんの努力を「素晴らしい」と評価していた。 ライオネス飛鳥 1963年7月28日生まれ、埼玉県出身。日本の元女子プロレスラー。1980年に全日本女子プロレス入団。同年5月にデビュー後は、リングネームをライオネス飛鳥に改め、長与千種とのタッグチーム『クラッシュギャルズ』で大ブレイクを果たす。全盛期には全日本ジュニア王座、全日本シングル王座を獲得。タレント活動としてはテレビドラマへの出演のほか、「炎の聖書」で歌手デビュー。人気絶頂のなか、1989年夏に現役を引退。引退後は、女子プロレスの解説やカーレースにも出場。1994年にはプロレスラーとして現役復帰。再び、人気を博した。しかし、度重なる怪我や病気により、2005年にふたたび現役を引退した。現在は、銀座に会員制スナック「gangs」を経営している。 池守りぜね
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