『チ。―地球の運動についてー』作者・魚豊「自分の『面白い』という感覚を信じるだけ」放送作家・白武ときおに明かす“漫画論”
プラットフォームを問わず縦横無尽にコンテンツを生み出し続ける、放送作家・白武ときお。インディペンデントな活動をする人たちと、エンタメ業界における今後の仮説や制作のマイルールなどについて語り合う連載企画「作り方の作り方」。 【写真】白武ときおの撮り下ろしカット 第11回は、マンガ家の魚豊(うおと)が登場。2018年に『ひゃくえむ。』で連載デビューをし、2020年に連載を開始した『チ。-地球の運動について-』は第26回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞。昨年末にはアニメ化が決定するなど、連載が終了したいまもなお、大きな話題となっている。 同じく話題となっている新作『ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ』は、陰謀論がテーマ。非正規社員として働く渡辺が恋と陰謀論に出会い、自分や世界を変えようと奮闘していくラブコメストーリーだ。 これまで一貫して、何かに対し人生を賭けて取り組む人間のあり方を描いてきた魚豊。その構想の源泉や動機はどんなところにあるのだろうか。白武との対話によって、その根底にあるものを探る。 ・物語が10巻以内に完結する“作り方のスタイル” 白武:魚豊さんのマンガは『チ。』がテレビ番組で紹介されているのを拝見して、それをきっかけに読み始め、『ひゃくえむ。』も読みました。最近完結した、最新作の『FACT』も面白かったです。毎回テーマが違うし、ほかと被っていないピンポイントなテーマ選びで、すごいなと思いました。次回作も決まっているんですか? 魚豊:そうですね、構想はあります。いつやるのかはまだ決まっていませんが、明確にやりたいものが2つあります。それとは別にあともう1つ、ゆるく考えているものもありますね。 白武:魚豊さんのマンガは、単行本にすると10巻以内くらいが多いですか? 魚豊:いまの自分のスタイルだとそれが合っていると思うので、今後もそうなると思います。でも「意外と走れるぞ」と思ったら、連載を長く続けたい気持ちもあります。 白武:魚豊さんのスタイルというのは、どんなものなんですか? 魚豊:僕は全体の話を考えてから作るタイプなので、そうなると10巻以内が限界なんです。多くのマンガはまずキャラクターを作って、それが勝手に動いていくようなことが多いと思うので、そういった構造にしないと僕には10巻以上続けるのは厳しいかなと思っています。 白武:日々やりたいことは増えますか? いまやりたいテーマが3つほどあると言っていましたけど、そのなかからなにか終わるまでにも、やりたいことがどんどん増えるのかなと。 魚豊:前はそうでした。でも最近はやりたいと強く思う企画が2つあるので、それらについて考えることに集中しています。だからなにか思いついたとしても、その2つのどこにはまるかを考えます。 白武:僕の場合は、いっぱい種をまいて全部徐々に育てていくことが多いですね。なので、結構散らかってしまいます。でもマンガ家さんの場合は描き始めたら、いっぺんにいくつも進めるわけにはいかないですよね。 魚豊:そうですね。連載が始まったらそれしかできないので、その前にできるだけアイデアの種を集めています。それが溜まったら描く、という感じです。 白武:全体像を設計して描き始めて、細かいところはあとから詰めていくんですか? 魚豊:最初からけっこう細かく詰めてますね。ほかの業種の方からするとそんなこともないかもしれないですけど、マンガ家のなかでは、最初から最後まで割としっかり詰めてから描くほうだと思います。 白武:週刊連載の方だと「敵をこんなに強くしちゃったけど、これどうやって倒すんだろう」みたいに自分で追い込んで「来週の自分が思いついてくれるだろう」となりながら、描く方もいると聞いたことがあります。 魚豊:すごいですよね。僕にはその大喜利力はないんですよ。耐えられない。自分の実力だと絶対に空中分解するので、いまのところはやりません。 白武:僕も脚本や物語を考えることがあって、最後までの構成が見えてから書き始めるタイプなので、魚豊さんのスタイルに近いかなと思います。出たとこ勝負で週刊連載をしているようなマンガ家さんは、本当にすごいですよね。 魚豊:本当にそうですよね。でも放送作家さんも、常にお題が膨大にあって、企画を考え続けているわけじゃないですか。そんななかで、企画に新規性を持たせるためにはどうしているんですか? 白武:新規性をどれだけ盛り込めるかは、予算や技術によっても変わります。たとえば『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ)の「笑ってはいけないシリーズ」であればCCDカメラをたくさん仕掛ける必要があるし、『風雲!たけし城』(TBS)のように大掛かりなものは、どれくらいのセットを建て込めるのかによってもできることが変わります あとは、いまの時代は多くの人がサブスクを利用して、いつでも音楽を聴けるようになりましたよね。だったらそれを活かしたものとか、そういった技術の変化やサービスの普及によっても、思いつく企画が変わってきます。 魚豊:その視点、すごく面白いですよね。技術によって想像力が刺激されたり、逆に制限されたりする。たとえば、Apple Vision Proが流行ったら、関連する企画がたくさん出てくる。さらに日常レベルまで普及したら、マンガの描写とかに普通に出てくると思うんです。いまはスマホが自然で、ガラケーが登場したら不自然なように。思想や想像力の最先端を走っているのがIT企業だというのが、すごく面白いなと。 白武:そうですね。そのデバイスならではの企画が面白かったらさらに流行りますね。 魚豊:IT企業の人たちが持つ想像力でまず開発して、そこから降りてきたものを自分たちが想像力で返す。この時代に、こういう人たちは、こういう感じでしたというような、なにか証拠みたいなものを残している感じがします。大昔は思想家や政治家や聖職者や国家が想像力の源になっていた気がしますが、今の時代はグローバルなIT企業がなにをするのかが、僕たちの想像力の最初の要石みたいになっているのが興味深いですよね。 白武:言い方はよくないですが、これまでの歴史だと戦争によって技術が進歩するように、IT戦争によって作られた技術を我々がどう使えるかみたいなところはありますよね。 ・『FACT』で描いた“陰謀論と常識の境界線” 白武:マンガを描くとき、読者に対して「こう思わせたい」といったことは設定しますか? 魚豊:ポジティブな影響を与えられるようにしたいとはうっすら思っていますけど、基本的にはほとんどなにも思っていないですね。自分が面白いと思えるかを一番大事にしています。 白武:『FACT』に関連する話で、僕の身近な人がわりと陰謀論めいたことを言ってくるので都度注意しているんですけど、中学くらいのときに始まった『やりすぎ都市伝説』(テレビ東京)で関(暁夫)さんがとかはめちゃくちゃ面白いなと思って見てましたね。もしかしたら大きな力が働いているんだっていう考え方をそこで持ちました。だからいまの僕が常識だと思ってることももしかしたら大きく騙されていて、地動説・天動説レベルの話があってもおかしくないとは思ってますね。 魚豊:わかります。この作品を作るにあたっていろんな本を読んだんですけど、表紙の制作協力も協力してくださったオカルト・スピリチュアル・悪徳商法研究家の雨宮(純)さんという方がいて。 その方が本に書いていたのが、2010年代くらいは都市伝説を嘘として楽しめていたけど、2020年代にそれが陰謀論になって、嘘はなくなったみたいなこと。嘘として消費できていた頃と違って、みんながいま真顔になっているのは、人々の余裕がなくなっているからなのかなと思います。 白武:最近『やりすぎ都市伝説』の関さんはちょっと前まで「目を覚ませ」って怒ってたんですけど、もう最近は泣くフェーズに入ってます。それも魅力的で。僕はなにかを強烈に信じている人に対して「面白い!話聞いてみたい」と思ってしまいますね。 たとえばアンミカさんが普段から白は200色あることを意識して生活していることは面白いし、なかやまきんにくんさんのYouTubeを見ると本当に普段からトレーニングのことばかり考えている。そういったことも人が強烈に信じている姿であって、すごく面白いと思うんです。 魚豊:わかります。 白武:だから『FACT』に出てくる先生やFACTの人たちも、別に騙すつもりがなく本気でやっているんだったら、馬鹿にしてはいけないんだろうなと思う気持ちもある。セミナーで悪い金儲けをしようとしている人は悪いと思うけど「扱っている商品は本当に良いんです」と熱心に言われると、ちょっとわからなくなってきます。 魚豊:僕も同じ感じなんですけど、たとえば人が死んでいるのに「死んでない」と言ったり、災害が起きているのに「天災じゃない、人工地震だ」とか言うのは、100歩譲ってそうだったとしても、そういうことを言うのは心に反していると思うんです。 人が露骨に死んだり殺したりみたいな方向に向かう思想は、それがどれだけ直接的なのかというのもあるんですけど、さすがに一線を超えてしまっているんじゃないかと思います。 白武:そうですね。だから水槽のなかの脳や、世界五分前仮説とかは面白いですけど、確かに人の命や災害、戦争といった話になってくると、違いますよね。 魚豊:そこはやっぱり一回喰らったほうがいいというか、一度傷つかないとダメなんじゃないかなとは思いますよね。心の本性として。 白武:『FACT』に出てくるヒロインの飯山さんに対して、主人公の渡辺くんが思うように「なんでこんな素敵な人が僕に優しくしてくれるんだろう」みたいなことって、結構あるものだと思うんです。だから飯山さんに関しては「思わせぶりだよ」と責めるような人もいそうだなと。 魚豊:本当にそうだと思います。たとえば、格闘技などでウエイトが一緒じゃないと試合ができないように、実はコミュニケーションにおいてもそういった問題は起こると思っています。そこでどう人と人が対等に話すのか、その平等さをどう取り戻せるのかみたいなところを、本作では描きたかったんです。 白武:実際、特に若いうちは、そういった問題を避けられないところがありますよね。 魚豊:勘違いさせないように配慮をするのは、すごく優しいことで、重要でもあるとは思います。ただ、それはノブレス・オブリージュ(社会的地位の保持には責任が伴うことを意味するフランス語)というか、人がなにかを与えるのは貴族性とトレードオフになる。 「平等なんだから与えなくていい、自己責任だからあなたも頑張って」となってしまったら格差は加速してしまう。とはいえ、僕だって当然、私的空間では話す人を選んでると思います。しかし、公的空間では可能な限りそれぞれに話を聞く必要がある。 私と公の空間は分けられるのが理想ですが、とはいえ、そもそもそこが渾然一体となってるのが人間な訳です。多様な私的な言語を公的な領域へ流入させる事、それによって公的という範囲を拡大する事は必須だと思います。だからといって、その公的空間の論理で私的な言語を裁く事が得策とは思えない。寧ろ、拡大された公的空間に影響されて、私的空間も徐々に拡大される事が目指される事だと思います。 恋愛という私的空間と、陰謀論/政治という公的空間が接近し混乱する中、本作の登場人物たちが、どのように私的空間を広げ、対話を可能にするのか、というのが、本作のテーマでもあるところです。 ・「自分の『面白い』という感覚を信じるしかない」 白武:学生時代に、魚豊さんが『FACT』の渡辺くんのような体験をしたことはありますか? 理解されないことへの憤りを感じるとか。 魚豊:マンガにおいて同じような気持ちになることが多かったですね。昔の僕は、好きな作品について「なぜこれが評価されないんだ」と強く憤っていた。僕はそういった被害妄想をするタイプだったので、渡辺くんの人物像を作るときに生きているところがあります。 白武:被害妄想というと「誰かが邪魔をしているんじゃないか」とか? 魚豊:過度にそう思っていたわけではないですが「世の中がおかしい」とずっと思っていました。そういった感覚は、多かれ少なかれ誰しも持っているものだと思うんですよね。 白武:いまもそういった憤りがモチベーションになっていますか? 魚豊:学生時代やデビューまではそうだったんですけど、もうあまりないですね。それに、"鬱屈"の様なものを過度モチベーションにするのはやめました。そもそも僕はずっと鬱屈としていたい人間では無いし、いつか尽きてしまって、そこから先がなくなるだろうと思ったので。売れていない頃の気持ちを込めた歌をミュージシャンに日本武道館で歌われてもな、みたいなことがあるじゃないですか。ネガティブを実存に置いたところで、僕は幸せになれないと感じたので。 白武:貧困だったラッパーが売れたら歌うことが無くなるみたいに。早い気づきですね。 魚豊:『チ。』がこんなにも評価してもらえて、自分の思っていたハードルを超えたから、というのもあります。だから、常に上を見続けて、社会に対して思うこともたくさんあるような人は本当にすごい。それほどの視野の広さは、僕にはなかったのかもしれないと思います。もちろん今後もマンガは描き続けては行きたいのですが。 白武:僕は燃えたぎる情熱みたいなものはないにしても、ずっと自転車を漕ぎ続けていられそうみたいな感覚はあるんです。違うことを思いつき続けられそうと。 魚豊:じゃあ白武さんは、将来こうなっていたいといったイメージを持っているんですか? 白武:自分が作ったものを世界中の人がポジティブに知っている状態が理想的ですね。海外へ行ったときにもし自分が作ったものが人々の身近な存在になっていたら、たとえば作ったボードゲームが海外の家庭で楽しまれていたら嬉しい。それが達成できたら満足するかもしれません。 魚豊:上を見続けられる人だ。すごい。規模が本当に大きい話ですね。 白武:自分でなくても凄い才能が日本以外にも広がるといいよなって気持ちは凄いありますね。たとえば、バラエティ番組で『¥マネーの虎』(日本テレビ)や『SASUKE』(TBSテレビ)、『ドキュメンタル』(Amazonプライム・ビデオ)のように、日本以外でも成立するような企画を生み出せたらなとも思います。魚豊さんは、作りたいものの理想はあったりしますか? 魚豊:そのときに自分が一番気になっていて、人間や自分の本質的なことを考えられそうだったら、興味はあります。だからスケールが小さいんですよね。いつかヒーローを作りたい気持ちはあるんですけど、それもぼんやりと思っているだけ。「こうすれば売れそう」みたいなこともまったく分からないし、好きなことをやり続けてきてしまったから、それしか考えられないんです。 白武:それでも活動を続けていったら、変わっていく可能性もあるんじゃないでしょうか。 魚豊:自分が面白いと思うことが変わる可能性はあっても、それを読む人が面白いと思うかどうかが本当に分からない。自分が最大出力を出せたらどんなに尖っていても3万人くらいは共感してくれるような気はするんですけど、それがスケールするイメージが湧かないんです。世の中で大ヒットしているものを見ても、それを人が面白いと思う理由が分からないことが多いので、再現もできないんです。 白武:本当に自分の感覚だけでマンガを描かれているんですね。 魚豊:あまりにも分からないから、自分の感覚を信じるしかないんです。 白武:むしろ自分軸しかないなかで、どうやって構想を考えているんですか? 魚豊:「なぜ面白いのか」を自分のなかで明確にして、エンターテインメントにしようとは思っています。読んだ人が面白いと思ってくれそうな理屈は、自分のなかには持っている。でもそれは、あくまでその作品の面白いを最大化させるための要素であって、ヒットするための適性みたいなところでは考えていないので。 白武:売れているマンガについて、売れている理由の分析などはしませんか? 魚豊:しません。もちろん大ヒットした作品にはなにかしらの理由が絶対にあると思いますけど、一方で全てがカオティックなものだとも思うから。それを探るよりは、自分が面白いと思うことを最大化したい。もちろん小さくまとまる気はないし、多くの人に読んでもらいたいとは思いますけどね。 白武:僕はすでにある企画の法則性をけっこう信じるタイプなんですけど、魚豊さんはそういったことはないということですよね。 魚豊:「こうしたから面白くなった」みたいな法則は理解できます。でもそれが「売れた」には接続しないと思うんです。僕のなかで「面白い」ものと「売れる」ものがあまり相関していないと感じているから。それに、法則に乗って失敗した人たちもたくさんいるわけじゃないですか。その差はなかかと考えたら「面白い」が自分のなかで明確になっているかどうかだと思うんです。 白武:その姿勢はすごくカッコいいし、憧れます。 魚豊:僕、本当に未熟でまだまだだと思いますが、ずっと心のどこかに小さくても確信的なマンガに対しての自信があって、自分が正しいという無根拠で圧倒的な思い込みがあるんですよ。自分が一番すごいと思っているというよりは、自分の審美眼を強く信じているということ。自分が神だと思っている作家さんは本当に神だし、偉大な人やみんなが良いといっているものでも、自分も良いと思うとは限らない。 白武:そのスタンスでやっていけるのはすごいことですよね。 魚豊:いや、分からないですよ。いけるかもしれないし、もうダメなのかもしれない。ギリギリで生きています。こんなことばかり言っていたら終わると思います(笑)ドカーン。
鈴木 梢