なぜあの世界的な写真家は製薬会社の巨悪と闘ったのか? アメリカで社会問題化する「オピオイド危機」とは
映画ライターの月永理絵さんが、新旧の映画を通して社会を見つめる新連載。第7回となる今回のテーマは、「大きな力に抗う」。 【画像】写真家ナン・ゴールディンを描くドキュメンタリー。映画『美と殺戮のすべて』 社会にも家庭内にも存在する「権力」。大きな力に抵抗するとき、私たちはどうするべきなのだろうか。現在公開中の映画『美と殺戮のすべて』と『アイアンクロー』(2024年4月5日公開)は、そのヒントをくれる作品です。
写真家ナン・ゴールディンの姿を追うドキュメンタリー
日々、個人の声は政府や大会社のような巨大な権力にはとうてい届かない、と実感することばかりが続いている。ひとりひとりのあげた声は、それがどれほど切実なものであろうと、たいていは大きな声でかき消され、資本の力で踏み潰される。大多数を前には少数はどうしたって無力だ。とはいえ、選挙というシステムはもちろん、デモ活動や不買運動など、ふだん小さき声として扱われる市民の側にも、抵抗の手段は残されている。 抵抗のための運動、というと思わず尻込みしてしまう人もいるかもしれない。でも、抵抗の手段といってもさまざまで、自分の生き方を貫くことや、身近な誰かを尊重すること、誰かの支配から逃げ出すことなど、きっといろんなかたちがあるはず。まずは「大きな力に抗う」人々を描いた映画を通して、それぞれの抵抗のありかたを学んでみたい。 まず紹介したいのは、ローラ・ポイトラス監督の『美と殺戮のすべて』。1970年代から活躍してきたアメリカの写真家のナン・ゴールディンの姿を追ったドキュメンタリー。写真家として著名なゴールディンが、近年、アメリカで社会問題となっている「オピオイド危機」に声をあげ、巨大な資本を相手に戦ってきたことを、私はこの映画で初めて知った。
薬の中毒性を隠し「安全」と謳った製薬会社
「オピオイド危機」とは、オピオイド系の医療用鎮痛剤の過剰摂取問題のこと。アメリカでは、製薬会社パーデュー・ファーマ社が、1995年からオピオイド系鎮痛剤「オキシコンチン」を積極的に販売しはじめたのを機に、依存症や過剰摂取による中毒死が急増し、社会問題となっているという。問題は、パーデュー・ファーマ社が、強い中毒性があることを隠し、「安全で効き目のいい薬」として薬を大量に販売してきたことにある。病気や怪我の痛みを和らげるために医師に処方された鎮痛剤を使っていたら、いつのまにかひどい中毒に陥っていた、という例が多発したのだ。この問題は、2019年に公開した、ジュリア・ロバーツとルーカス・ヘッジズ主演の『ベン・イズ・バック』という映画でも扱われていた。 ナン・ゴールディンは、自身が手術のあとオキシコンチンを処方され酷い中毒症状に苦しんだ経験から、仲間たちとともに「P.A.I.N」という団体を設立し、パーデュー・ファーマ社および、会社を所有するサックラー家の責任を求め、さまざまな抗議活動を開始する。製薬業で成功をおさめた大富豪サックラー家は、美術館や大学への寄付を盛大に行ってきた有名な篤志家でもある。いいかえれば、文化や芸術を熱心に支援する裏で、人々を騙し麻薬をばら撒くことで財を築いてきた人々だ。 ゴールディンが抗議活動の先鋒に立ったのは、まさに相手がサックラー家だったからだといえる。写真家として著名な彼女の作品は、サックラー家が寄付し、その名前を冠された世界各地の美術館にも展示されている。そこで彼女は自分の知名度をぞんぶんに利用し、美術館という場で派手な抗議パフォーマンスを行う、という戦略をとる。映画の冒頭、サックラー家の名前が冠されたメトロポリタン美術館の展示スペースで、「P.A.I.N」の仲間たちはオキシコンチンのラベルが貼られた薬品容器を一斉にばら撒き、「サックラー家は人殺しの一族だ!」と叫ぶ。それは強烈な抗議活動であり、ひとつのアートパフォーマンスのようでもある。 美術館での抗議活動といえば、先日、国立西洋美術館での企画展「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか? ――国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」の内覧会で行われた、アーティストたちによるパレスチナ侵攻への抗議活動が記憶に新しい。抗議の内容は異なるにせよ、彼女たちはみな、美術館という場で芸術と資本との関係を問い正し、芸術家はつねに政治的な存在であるとメッセージを発してみせた。こうした公の場でのパフォーマンスは、ただ当事者に声を届けるのが目的ではない。多くの人々の目を引き、取材に来たメディアに自分たちの姿を晒すことで、問題をより広く周知していくことにもつながる。 映画『美と殺戮のすべて』は、ゴールディンと、サックラー家およびパーデュー・ファーマ社との戦いを追うとともに、彼女の生い立ちや写真家としてのキャリアをふりかえる。若くして姉を自殺で失い、それを機に両親との関係が崩壊したゴールディンは、10代で家を出て遠くの学校で生活を送るようになる。そしてそこで出会った仲間たちの関係が、その後の人生に大きな影響を与えることになる。1970年代以降、ゴールディンは、自分の身近な人々を被写体にした写真で大きな注目を集めていく。なかでも彼女の名前を一躍有名にしたのは、「性的依存のバラード」シリーズ(1978-86)。麻薬、性、暴力とともに生きる人々の姿が克明に記録された写真たちは、彼女自身の日常から生まれたものだ。