阿川佐和子「方言六十点」
阿川佐和子さんが『婦人公論』で好評連載中のエッセイ「見上げれば三日月」。阿川さんはNHKのドラマを観ていると、しばらく大阪弁が抜けなくなるそうで――。 ※本記事は『婦人公論』2024年2月号に掲載されたものです * * * * * * * 朝、NHKのドラマを観ていると、しばらく大阪弁が抜けへんようになる。ドラマが終わるや相方に、 「朝ご飯、どないする? パンでええか?」 「あかん。玉子、切らしてしもたわ」 これが正しい大阪弁かどうかもよくわからないけれど、気分はすっかり大阪人や。 もともとかぶれやすいタチである。地方へ行くと、その土地の言葉を無性に使いたくなる。その土地の空気や風景や温度の中で、一人だけ東京の言葉を吐いている自分が気恥ずかしくなってくるのである。 恥ずかしいというか、味気ないというか。一刻も早くここに馴染みたい。そう思うがあまり、使い慣れない言葉を無理に使おうとして、地元の人の顰蹙を買うこともある。 「それ、ぜんぜん違う!」 ことに関西は、関東の人間が理解している以上に地元言葉が複雑だ。同じ関西といえども京都と大阪と神戸ではイントネーションも使う単語そのものも、微妙に異なるらしい。 「こーへんか」 「きーひんか」 「けーへんか」 さて、どれが京都で大阪で神戸でしょう。そう問われたことは何度もある。えーと、たしか「けーへん」が大阪で「きーひん」が京都で「こーへん」が神戸だったような……。と答えると、いやいや、そうとも限らない。大阪の人も「こーへん」てよく使いますよと反論されてしまう。
どうやら関西弁の場合、年齢、性別、職業、時代、さらに大阪内でも地区によって使う言葉はまちまちなのだという。 かつて私は兵庫の尼崎で奮闘する東京出身の女性検事を主人公にして小説を書いたことがある。さまざまな事件に遭遇し、取り調べをするときの会話を考えなければならないが、このときの言い回しが難しい。適当に書いておいてあとで大阪の女友達に監修してもらったのだが、滅多斬りに直された。 「ダメダメ。こんなん、若い女性はよう使わんて」 「京都の男性は使わない。これは祇園言葉」 そうか。私が京都言葉として耳慣れているのは、もしかしてはんなりした舞妓さんの言葉だったのかもしれない。 昔、テレビのトーク番組を観ていたら、三人の男性が司会を務め、ゲストに若い舞妓さんを招いてあれこれ質問していた。 「お稽古は、大変ですか?」 「そうどすなあ」 「着物、自分で着られるようになるまで何年もかかるんですか?」 「何年いうことはありませんけど……そうどすなあ」 「その格好で新幹線に?」 「そうどすなあ」 「いやあ、おきれいです」 「そうどすか?」 「将来の夢とか、ありますか?」 「そうどすなあ……」 なにを問われてもその舞妓さんはゆったりと、それこそはんなりと「そうどすなあ」以外の返答をなさらない。それが見事に味わい深く、私はすっかり魅了されてしまった。