古代ローマを知る漫画家・ヤマザキマリが描きおろし&徹底解説!パワー漲る『グラディエーターII 』は「燃費を考えていたら成立しなかった作品」
古代ローマを舞台に、皇帝への復讐に燃える剣闘士<グラディエーター>の闘いを描き、第73回アカデミー賞作品賞、主演男優賞を含む5部門を受賞した『グラディエーター』(00)の“その後の物語”を描いた続編『グラディエーターII 英雄を呼ぶ声』が公開中。リドリー・スコットが再びメガホンをとり、前作でも登場したルッシラの息子ルシアスが剣闘士となり、力のみが物を言うコロセウムで待ち受ける戦いへと踏みだしていく姿を描く。 【写真を見る】「テルマエ・ロマエ」「プリニウス」を生みだした漫画家ヤマザキマリは『グラディエーターII 』で描かれる古代ローマをどう感じた? 主人公ルシアスに扮するのは『aftersun/アフターサン』(22)のポール・メスカル。ルシアスの母親ルッシラはコニー・ニールセンが続投。ルシアスの才能を利用し、帝国での地位を狙う謎の奴隷商人マクリヌスをデンゼル・ワシントンが演じ、悪政はびこるローマ帝国の争乱に翻弄されていく屈強な将軍アカシウスにはペドロ・パスカルが扮している。 リドリー・スコットが生みだした伝説的名作の続編には早くも「前作に並ぶ傑作!」との声も。同じく古代ローマを舞台に「テルマエ・ロマエ」や「プリニウス」を生みだした漫画家ヤマザキマリは本作で描かれる古代ローマをどう見たのか。古代ローマを知り尽くすヤマザキに本作で描かれる古代ローマの魅力や、いま観るべきとおすすめする理由、そして本作のために描き下ろした特別イラストレーションの制作秘話を訊いた。 ■「古代ローマの水準の高さに対する驚きとリスペクトが伝わってきます」 「古代ローマを描いた映画作品はたくさんあるけれど、ここに来て史上最高のクオリティのものができていると感じました。そして、古代世界を再現するにはSFと同質の想像力が必要だということも痛感しました。リドリー・スコット監督が『グラディエーター』シリーズを手掛けるのは正解だと思います」と力を込めたヤマザキ。特にすばらしいと感じたのは舞台や衣装などの“時代考証”だという。「もちろん史術が軸にはあってもよくできたフィクションですから、いろいろとツッコミたくなるところもいっぱいあったけれど、再現された当時の景観、建造物、人々の衣装などに関しては、『ベン・ハー』や『クオ・ヴァディス』といった作品が作られていた60、70年前を踏まえると、ここまで進化したのか、と感心するしかありません」とローマを題材にした映画の歴史に触れ、しみじみ。 前作『グラディエーター』は、全世界で4億6500万ドル以上を稼ぎだし、2000年第2位の興行収入を記録する大ヒット映画。商業的成功だけでなく、アカデミー賞、ゴールデングローブ賞などの賞を独占した伝説的歴史的スペクタクルだ。その名作の続編で描かれた古代ローマは圧倒的だったと唸るヤマザキ。「前作は作画の資料として何度も観ていて、当時は再現の水準の高さに関心していましたが、続編におけるクオリティはそれを上回っています。古代ローマの時代考証は日々の発掘調査や、研究家の検証によって情報は日々更新されていますが、そうした最新の知識も盛り込まれているはずです。衣装一つにしても本当に細かいところまで凝っていて、古代ローマの水準の高さに対する驚きとリスペクトが伝わってきます」と最新の時代考証と技術の掛け合わせにより、現時点での最高峰の表現だったと断言。「すべての場面を参考資料として観てしまうところがある」と本作の見方に触れたヤマザキは「自分が調べて得た情報がどのように再現されているのか、という目線でも観てしまいます(笑)」と、古代ローマを深く知るからこそ目がいってしまうポイントがあるとも話した。 現在、ヤマザキは「テルマエ・ロマエ」の20年後を描く「続テルマエ・ロマエ」を連載中。浴場もコロセウムもローマ帝国を統括するための政治力を司った、重要なエンタテインメントだったと語る。「円形劇場の催しも、浴場も、どちらも民衆を統括するための重要な政治力ですが、テルマエ・ロマエで展開される呑気な世界観とは緊張感があまりに違い過ぎて、思わず笑ってしまいました」そして、「この作品で描かれているこの時代はこれから大国ローマがどんどん退廃していく序章にあたりますが、あの2人の皇帝によってその気配が強調されていましたね」と、違う切り口でありながらも同時代を扱った物語が、この先のローマを見せる上でどう描くのかにも注目していたようだ。 ■「『グラディエーターII』を観てからテルマエを見直していただくのもおもしろいかも」 ゲタ(ジョセフ・クイン)とカラカラ(フレッド・ヘッキンジャー)の双子皇帝はヤマザキの目を引いたキャラクターだ。「ストーリーは私の作品である『プリニウス』の話と重なるところがありました。『プリニウス』の時代には暴君と呼ばれた皇帝ネロがいて、彼を操るティゲリヌスという側近がいます。この映画におけるマクリヌスのような存在ですね。やっぱり暴君を描くとこういう感じになるんだなって(笑)。狂気を帯びた皇帝の役って難しいと思うんです。前作のホアキン・フェニックス演じるコモドゥスも印象的でしたけど、今回もやっぱり狂った皇帝によって翻弄される人たちの話になっていましたね。ただ悪帝というのは、歴史家たちによって実際よりも酷い人として演出されている可能性もあるので、こうした映画では本当にフィクション寄りとして捉えて見たほうがいいかもしれません。逆にテルマエは賢帝と呼ばれる皇帝たちの統治下にあった平和なローマ時代を描いた漫画なので、『グラディエーターII 』を見てからテルマエを見直していただければ、より現実に近い古代ローマを理解してもらえるのではないかと思います」とここでも同じ古代ローマ時代でも切り取り方の違いがあると説明した。 「主人公のルシアスとアカシウスのふたりは熟成した人格。人間にとって理想の男性像と言っていいんじゃないでしょうか。でも、私が惹かれた人物がもう一人います」とニッコリしたヤマザキが大好きなキャラクターとして名前を挙げたのは、アレクサンダー・カリム演じるラウィ。かつて剣闘士だったが自由を手にしたあとに、負傷した剣闘士を手当てする医者になることを選んだ男だ。「あのキャラクターの存在はかなり重要です!」と興奮気味。「『プリニウス』にもギリシャ人の医者が出てきます。すごく卑屈で捻くれたやつなんだけど、本当に必要な時には大事な友のために力を発揮する。描いている私自身にとってもとても気に入ってる登場人物です。そして、本作でルシアスが一番心を預けているのも、この医者のラウィ。彼がいるといないとでは、作品の深さや奥行きも全然違ってくるでしょう」とイチオシ。「おもしろい映画には必ずおもしろい脇役が使われているものです。ゲタとカラカラも大事な2人でしたね。単に非道な人間としてだけではなく、皇帝という宿命を背負いきれない哀れさや悲壮感がよく演出されていたと思います」とキャラクターの奥深い描き方にも言及した。 さらに闘技場でルシアスたちと戦うサルにも触れ、「あの歯の長さは怖かったですね、本当にあんな猿がいたのかと家に帰って調べてしまいました。エイリアンが出てきてもおかしくない様子でした(笑)」と振り返り、「リドリー・スコットがおもしろいのは、私の漫画もそうなんだけど、フィクションとノンフィクションが渾然一体となって、なにが本当か嘘か境界線をなくしてしまう演出ですね。堂々と架空のクリーチャーを史術に混ぜてしまう。『プリニウス』にも現実に怪物や妖獣が出てくる場面はいくつかありますが、エンタテインメントの手法としては潔いし、見ていて楽しい」。ツッコミたいところもあるとしながらも、「正直、全体的な結果として楽しいんだから、そんな小さいことはどうでもいいんです。ルシアスが前作のマキシマス(ラッセル・クロウ)の息子だったことも衝撃でした。前作の名前はルシウス・ウェルスだったので、マルクス・アウレリウスと共同皇帝だった同名の皇帝の息子だとばかり思っていたので。でもドキュメンタリーと同質の時代考証の高さはあっても、あの歯の長いサルに象徴されるように、あくまでフィクションなんで、そう捉えたら細かいところはもう気になりません」と、同じクリエイター同士だからこそ理解できる表現のあり方についても触れた。 ■「理不尽と不条理が渦巻くコロセウムは社会の縮図」 映像においては、大都市ローマを鳥瞰で捉えている場面が気に入っている。「古代ローマという大都市の壮大さと混沌がとてもリアルでした」としながらも、水をためたコロセウムで展開される“模擬海戦”のシーンにはツッコミを入れずにはいられなかったようだ。「予告でも何度も観ていたシーンですが、サメは、流石にどうかなって(笑)。古代ローマに詳しいイタリア人の夫も『サメ入れたい気持ちわかるけど、まず円形劇場内に海水を運んできて満たす、というのはちょっと難しいよね』と笑ってました。でも、サメが泳いでいると迫力と緊迫感が増すことは確か。前作もそうだったけれど、史実をもとにした戦闘を模倣するのに、結局負けるべき人たちのほうが勝ってしまうっていう。あの逆転劇はコロシアムの観客的視点として、やっぱり爽快です」とお気に入りの展開を解説。 「理不尽と不条理が渦巻くコロセウムは、結局、社会の縮図なんです。古今東西関係なく、人間が作り出す社会の実態が、戦う人間や動物たちによって演出されている。コロセウムのなかで起きていることは、いまの我々が生きる世界の、あらゆる場所や環境でも起きていることなのだという示唆を前作でも感じましたが、続編はその点が更に強調されているように感じます」と、前作からより色濃くなったポイントを挙げる。「このご時世にこのような映画が作られた意味は深いですね。古代ローマの一千年というのは、人間というのがどういった生物で、どのような社会を築いて、どのような統括を試み、どうやって周りと争って、どのように崩壊していくのかが全て盛り込まれています。人間という生態を知りたいのであれば、古代ローマの歴史に大体全ての答えが書かれているでしょう。なので、『グラディエーター』という映画は、もちろんスペクタクル映画としても楽しめるけれど、人間観察という意味で捉えて観るとより一層楽しめるのかもしれません。立ち位置を変えて、俯瞰で自分たち人間を知るための良い素材でもあると思います」と本作の楽しみ方としての持論を展開。 ヤマザキ自身が古代ローマに惹かれる理由もそこにあるという。「古代ローマ時代に起こっていたことは、いまでも起きている。中東での戦争や紛争もその一つですし、アメリカやロシアや中国のような大国の政権を見ていると、やはり古代ローマの統括の構造や権力者たちを連想してしまいます。現代で起こっていることは、そのまま古代ローマ時代の出来事と比較できるのです。リドリー・スコットがどこまでそういったことを意識していたかはわからないけれど、この作品からは、そういったメッセージ要素も強く感じ取れますね。この作品の中にも告げ口をする人が出てきますが、古代ローマも情報操作や虚構の情報が横行してしていた社会です。そんな中において、エネルギーを出し惜しみなく燃焼させながら、自分たちの足で立ちあがっていく、そんな登場人物たちの勇気と気高さが漲る展開が心地よかったですね」。 ■「この映画に出てくる登場人物は皆”反・省エネ”キャラクター」 今回の描き下ろしイラストレーションには主人公ルシアス、奴隷商人マクリヌス、帝国将軍アカシウス、そして前作で登場していた少年ルシアスを登場させた。彼らをフィーチャーした理由について尋ねると「あの育ちの良いか弱そうなインテリ少年が成長してルシアスになったというのが意外すぎて、描かずにはいられませんでした。グラディエーターとなったルシアスを描いているうちに誰かに似てるなあ、と思ったら阿部寛さんですよ(笑)。本当はローマの景観やコロセウムも描きたかったんですが、細かい背景を描くには時間が足りなさすぎたので断念してブラックバックに人物をフィーチャー。3人とも不条理ない人生への怨恨を抱えている、感情に対するエネルギーの出し惜しみのない人たちです」とルシアス、マクリヌス、アカシウスの共通点を指摘。 さらに、「いまの世の中はコスパやタイパが推奨される省エネメンタリティが当たり前の社会になりつつありますが、この映画に出てくる登場人物は皆”反・省エネ”キャラクターです」コスパを意識している人はこの映画には登場しないということを強調。「古代ローマは、生命力を節約しているような人間はすぐに潰されてしまう時代です。強い生命力と精神力を持たなければ生き延びていけません。いまの時代の緩さからは考えられない世界ですし、必要のないエネルギーを放出する必要性もないのはわかりますが、自分達にも実は本質的に備わっているエネルギーを自覚するきっかけにはなるでしょう」とヤマザキらしい表現で映画をアピール。 「コンプライアンスだ、平等だ、なんていう主張や訴えはまったくなんの意味も影響力もなさない『グラディエーター』の世界です。ここまで人間の残酷性が剥き出しになった社会であっても、自らの命を守って生き延びていくルシアスや周りの人々の姿はこの上なく頼もしい。出演している役者たちも半端ない訓練をして肉体を鍛えたそうですが、リドリー・スコットはどこから撮影してくるかわからないから、演技をするにも抜かりが許されず、大変だったらしいですね。燃費のことなど考えていたら成立しなかった作品です。観終わって外に出ると、ジムで運動してきたような感覚に陥るのは、役者たちも含め、作品全体に費やされた膨大なエネルギーの効果でしょう」。 今回のイラストレーションで大変だったのはアカシウスの衣装だったそう。「この革製の甲冑には機能的でありつつもおしゃれな飾りがいっぱいついていて、なかなか面倒臭いんですよね。漫画でもこうした甲冑を描くことはありますが、締切が迫るなかではそんな細かいところまではなかなか描蹴ない。でもこの映画では、たっぷり衣装にもこだわることができたみたいで、羨ましかったです(笑)。ルッシラの衣装も彼女の知性が際立つようなセンスの良さがすばらしかったけれど、なんと言っても一番好きなのは、アカシウスのようにグレードの高い人が着ている革の甲冑ですね。ものすごい凝っていてすばらしかったけれど、時価の制限がありましたので、裸のルシアスを大きくすることで、描き込む工程を少し減らしました」と笑いながら制作時のエピソードを明かした。 映画、そして古代ローマの魅力をたっぷりと語ってくれたヤマザキに古代ローマを描く上で感じているおもしろさ、大切にしていることを訊いた。「人類の長きにわたる歴史において、初めて近代に近い形の社会を構成した人々の、妥協のない生きる姿勢と知性に惹かれます。『テルマエ・ロマエ』のルシウスもですが、授かった人間としての生態機能を出し惜しみせずに生きている人たちというメージがあります。時には快楽に溺れ、時には勤勉に、時には残酷に、時には知性を駆使しつつ、あれこれ試行錯誤を繰り返しながら悔いのない生き方のできる社会を築くために日々を突き進んでいる人々の姿は描いていて心地よいですね。それから、いまの私たちにとっては当たり前になってしまって気づけないけれど、円形劇場にせよ、浴場にせよ、生きていることを励まされ、生きていることを癒やされる場所に人は集まり、統治されるという社会の構造が実にわかりやすい時代でもありました。『パンとサーカス』という古代ローマを象徴する言葉がありますが、現代社会においても私たちは明日を生きる燃料として娯楽を求め、癒しを求め、食べ物にもこだわりながら生きています。いまと昔も変わらない、そこが古代ローマを描いていて最もおもしろいと感じるところです」と人間が生きていく上での基本原則を解説。「パン(=食糧)」と「サーカス(=娯楽)」とは、詩人ユウェリナスが政治に無関心になった古代ローマ市民のさまを揶揄した表現だ。 「ルシアスはグラディエーターとして生きていかなきゃいけないと言われた時に、運命を恨み、悔しさを感じつつも、それはそれでローマの力になるという思念が彼のなかに芽生えます。テルマエ・ロマエのルシウスであれば、地球の恩恵として出てくる温泉、浴場というもので、どこまでローマの力を高めるのか、いい社会を作り上げることができるのかを考えている。自分たちが帰属する社会の存続のために、強い信念を抱蹴る人こそ模範的なローマ人だったはずです。自己主張や承認欲求よりも、社会としての水準をどこまで高められるのか、そのために自分の力を駆使できる人々によって作られていたのが、古代ローマというものだったと思います」とその魅力を並べる。 「いま、グローバリゼーションという言葉が横行していますが、他民族同志というのはそう簡単にまとまるものではありません。様々な宗教、様々な生活習慣、そうしたものが混然一体となっても、大きな一つの国として成立していたヒントがローマ史には書いてあるんです。私がローマを描く上で一番大事にしているのはローマの最も重要なポリシーである“クレメンティア”。ラテン語で“寛容”という意味です。この寛容性はまさに『グラディエーター』の世界でも問われていると感じました。利己的な正当性を押し通すための戦争や紛争が勃発し続ければ、人類は遺伝子を残していけなくなります。人間がそれぞれ命の尊厳を守られながら生き延びて行くためになにが問われるのか、この映画にはその答えがちりばめられているように思います」。 取材・文/タナカシノブ
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