モスクワ劇場テロは「氷山の一角」…いま「イスラム国」が息を吹き返し、新たなテロの時代が訪れた訳
<モスクワ劇場テロでイスラム国(IS)系団体が犯行声明。大国同士の対立が生んだ亀裂を温床とし、過激派が世界に散らばり支持拡大を図る>
モスクワ郊外のコンサート会場で3月22日に起きたテロ事件は、どこかで見たことがあるような、不気味な感覚をロシア人に与えた。モスクワでは2002年10月にも、チェチェン共和国の独立派テロリストによる劇場占拠事件が起きて、130人以上の人質が犠牲になっているのだ。 【動画】ISの奴隷にされた援助ワーカーの女性ミュラー 今回の事件(これまでのところ死者144人以上)は、過激派組織「イスラム国」(IS)が犯行声明を出している。ロシア当局が容疑者を尋問したところ、彼らはウクライナを目指していると語ったという。ネット上ではこの話が独り歩きして、一時は陰謀論が激しく飛び交った。 ところが、IS傘下のグループ「ISホラサン州(IS-K)」に注目が集まり始めると、全く異なる説が飛び出した。この事件は、欧米諸国がイスラム主義組織に成り済まして起こしたというのだ(主にロシアのメディアで取り沙汰されている説で、SNSで拡散している)。 こうした多種多様な陰謀論によって、一番得をしているのはISだろう。ISのアブ・フダイファ・アンサリ報道官は、事件の数日後に41分ほどの音声メッセージを発表した。 ただし、ロシアへの言及はごくわずかだ。代わりに重点が置かれているのは、ISが設立10周年を迎えたこと。そしてアフリカから東南アジアまで、世界中にプレゼンスを確立していることを強調して、ISは衰退したという見方を覆そうとしている。さらにISの戦士たちをたたえ、民主主義を非難した。 ■インドに甘いタリバンを叱責 このメッセージが発表される数時間前には、IS-Kがパシュトゥー語(アフガニスタンの公用語の1つ)で18分間のメッセージを発表している。アフガニスタンの政権を握るイスラム主義組織タリバンが、インドに歩み寄っていることを批判する内容だ(IS-Kはインドを反イスラム国家と見なしている)。 IS-Kは22年、アフガニスタンの首都カブールのシーク教寺院を襲撃する事件を起こした。このときインド政府は、安全のためにアフガニスタンに住むシーク教徒とヒンドゥー教徒の受け入れを申し入れ、タリバン政権が協力した経緯がある。 これまでにも、ISまたはIS-Kがインドを非難する声明を発表したことはある。しかし今回のパシュトゥー語のメッセージでやり玉に挙がったのはタリバンの行動であり、必ずしもインドや、その民主主義体制、あるいはヒンドゥー至上主義的な政治ではないことは興味深い。 21年の米軍のアフガニスタン撤退と、それに続くタリバンの権力掌握は、この地域の力学に大きな影響を与える出来事だった。ただ、アジアにおける新しい戦略的競争に軸足を移したいと考えていたアメリカにとっては、アフガニスタンから撤退することは難しい選択ではなかった。 難しい状況に陥ったのは、タリバンという強力な過激主義組織が政権を握るアフガニスタンに対処しなければならなくなった周辺諸国だ。 それまで20年間のアフガニスタンは、アメリカとNATOの軍事的な傘の下で比較的安定していたから、近隣諸国(中国やロシアを含む)は自らの戦略的利益を追求することに注力できた。アフガニスタン国内の民族を支援することで、その政治に影響を与えることもできた。だが、米軍が撤退したことで、アフガニスタンは「アジアの問題」になった。 とはいえ、ロシアや中国やイラン(いずれもアメリカにとって最大の敵対国だ)は、この状況を喜んでいる。例えばイランは現在、アメリカとの関係が過去最悪レベルに落ち込んでいるが、そんなときに国境の東隣にいたアフガニスタン駐留米軍という大きな重しが消えた。 ■今も続く米軍「アフガン撤退」の波紋 イランは歴史的に、アフガニスタン、とりわけタリバンと対立してきた。1990年代には、アフメド・シャー・マスードを最高指導者とする北部同盟(タリバンと対立していた軍閥のグループ)を支援していた。インドやロシア、タジキスタンなども、タリバンおよびタリバンに資金を提供していたパキスタンに敵対する軍閥を支援していた。 ところが21年になると状況は一変する。イランは復活したタリバン政権と正式な外交関係や経済関係を結び、健全なレベルの反欧米姿勢と、イランとの国境を比較的平穏に維持することと引き換えに、タリバン政権への支援拡大を提案した。