ダンサー・田中泯に“ヴィム・ヴェンダース監督”が伝えたこと【映画『PERFECT DAYS』秘話】
『世界が注目するダンサー・田中泯が明かす「“オドリ”の最中、頭の中で何が起きているのか」』より続く… 【写真】オドリについて語る田中泯さん
自然との共生で育んだカラダ
泯さんのオドリを映像で見るのと実際に体験するのとではわけが違う。彼が追求するオドリとは、そこに存在する生命の躍動そのもの。だから同じ時間と空間を共有しているうち、こちらも踊っている感覚になってくる。緊張と弛緩の連続。一度でも体験したことのある方ならば、この感覚が分かるのではないだろうか。 観客の存在について、泯さんはこう述べる。 「オドリを見ている人の中で何かが起こる。その一つひとつが、オドリと無関係ではありません。僕のカラダが発するものと、見る人の身体が発するものとが同じ空間で出会っていく。つまり、オドリは一方向ではない。それらすべてをひっくるめて“オドリ”なんです」 日本には「心がおどる」という言葉がある。泯さんのオドリとは、見る者の心を踊らせ、それはやがて全身にまで広がるのだ。 そんな泯さんのカラダは、自然の中で培われたもの。1985年、彼は山梨の山村に生活拠点を移し、農業と舞踊の同時実践を開始した。自然との共生で育んだカラダとともにオドリを続けている。 「どんなに仕事で遅くなっても、できるだけ帰るようにしています。あそこの土とか空気とか陽の光とか、あらゆるものが僕のカラダに必要なもの。朝起きたら、飼っている羊がいなくて焦ったこともあります(笑)。山梨での生活は、いまの僕のオドリの背景になっていますし、僕の生きるリズムとも合っているんです」 泯さんが山梨の生活で得た大切な言葉のひとつに、「ミニシミテ」というものがある。物事を頭で理解するだけでなく、全身に染み入るほど「本当にミニシミテいるか?」と自分自身に対しても他者に対しても問うことができる言葉だ。山梨日日新聞での連載「えんぴつが歩く」をまとめたエッセイ集のタイトルにも、この言葉を選んでいる。泯さんの日常だけでなく、カラダとともに哲学する彼の思考の深いところにまで触れられる一冊だ。 泯さんの書く文章には不思議な魅力がある。文章ごとに句読点の打ち方が異なり、読者に語りかけるように言葉たちが綴られているものもある。エッセイの中身の面白さもさることながら、まるでそこでは言葉たちが自由に踊っているかのようなのだ。リズムがあり、やっぱり緊張と弛緩の連続がある。 「書くことは苦手だと思い込んでいました。でもいざ書きはじめてみると、不可能ではないことが分かったんです。役を演じてセリフを声に出すのと同じように」 思えば文章にも“文体”というカラダがある。「書く」という行為もまた、泯さんにとってはオドリの一環なのだ。