「登板ゼロ」から「11球団視察」のドラフト大注目右腕に…沼井伶穏(横浜隼人)が語る「ブレイクスルー確信の瞬間」【ドラフト候補インタビュー】
プロで活躍して「アフリカの人のために」社会貢献をしたい
――夏の大会では2試合の完投勝利もありベスト8に進出しましたが、自分の投球を振り返っていかがでしたか。 沼井 課題だったコントロールの部分は大崩れせずに打たせて取ることができていたんですけど、変化球の質、ストレートのコントロール、勢いというのはまだまだ伸ばせることを実感しました。公式戦で完投できたことが大きな自信になりました。今まで100球を超えると、球威が落ちていたんですけど、夏は100球を超えていても球威が落ちなかったことは大きな成長点だと思います。 ――プロ志望は早い段階から決めていたんですか? 沼井 昨年の新チームから高卒でプロ野球選手になることを目標に練習に取り組んできました。春の投球で自分の中で自信がついたので、プロ志望届を出すことを決めました。 ――夏の大会が終わってからドラフトへ向けてどんな準備をしていますか。 沼井 ストレートの強さを磨くために体重を増やしてきました。夏の大会では82キロでしたが、今では84キロです。そして課題となった変化球も磨いています。スライダーを投げる時に若干緩む癖があったので、真っ直ぐと同じように腕を振ることができています。 ――プロ野球選手になったら社会貢献をしたいようですね。 沼井 プロ野球選手になって、社会貢献できる立場になった時、父の母国でもあるナイジェリアだけではなく、アフリカの人たちを助けたい思いがあります。そのために活躍して、プロ野球選手としての地位を高めたいと思っています。 ――ドラフト会議も近付いてきました。改めて心境をお願いします。 沼井 新チームになった時はプロにいけるかどうかという不安はありましたが、今は夏の大会もすべて終わって、ドラフトに向けて楽しみな気持ちになっています。 沼井 伶穏<ぬまい・れおん> 186センチ84キロ 右投げ右打ち。 小学4年まで剣道4段の母の影響で剣道をやっていた。小学5年生から野球を始め、谷本中では中本牧シニアに所属した。中学2年までは外野手としてプレーし、中学3年から投手を始めたが、控え投手。当時のエースは横浜隼人でバッテリーを組む山野井寛大捕手だった。高校2年春からベンチ入りし、冬の練習から140キロ程度だったのが140キロ後半までスピードアップ。どの試合でも自慢の速球を投げ込み、多数の球団スカウトから注目を集める存在となった。3年春は2回戦で平塚学園戦に敗れ、ノーシードスタートとなったが、最後の夏は鶴嶺戦で完投勝利を挙げ、その後も好投を収め、チームをベスト8まで導いた。