大阪・道頓堀「グリコ看板」の歴史振り返り、あの看板に思い出も
大阪市中央区道頓堀の戎橋のそばで、大きく手を広げたランナーが大きく両手をあげたランナーが鮮やかに光る「グリコ看板」。江崎グリコが3日、この看板をリニューアルすると発表すると、翌日の各テレビや新聞などが大きく報じ、ニュースを見て「今のうちにこれを撮っておこ」と記念撮影をする人も増えている。今や同所には欠かせないこの看板は現在のもので5代目。そんな名物看板の歴史を振り返るとともに、街の反応などを聞いてみた。 大阪・道頓堀の「グリコ看板」リニューアルへ
初代から3代目はネオン塔だった
道頓堀に初めてグリコ看板が設置されたのは1935年。高さ33メートルのネオン塔で、ランナーとグリコの文字を6色に変化させるとともに、毎分19回点滅させたという。だが戦況が厳しくなった1943年、鉄材供出のため撤去された。2代目が登場したのは1955年。これも高さ約21メートル、砲弾型ネオン塔となり、下の方にはステージが設けられ、大きな「ワニ君人形」がピアノをひいたり、人形劇が演じられた。 1963年には3代目が登場。これも高さ18メートルのネオン塔だったが、トレードマークの部分にある水車状のノズル(150本)から12トンの水がふき出す仕組みを形成。それを12色のランプ400個を照らし、きれいな虹模様ができていたという。水はポンプで上のタンクに戻す仕掛けにもなっていた。
4代目は躍動感、5代目はネオン管4460本使用
高さ17メートルの4代目は1972年に登場。陸上競技場のトラックでゴールインするランナーが駆けるという躍動感のあるものに。午後11時まで点灯し、戎橋で看板を背景に記念撮影するという人もこの代から増え始め、名物となっていったという。建設から24年後の1996年、隣接するビルの改装に伴い撤去された。 現在輝いている5代目は、1998年に登場。高さ20メートルでネオン管を4460本使用。日没30分後から午前零時まで点灯。大阪城、通天閣、海遊館、大阪ドーム(現・京セラドーム大阪)といった大阪を代表する建物を描き、バックの情景を表す色に変化をもたせることで、朝から夜までランナーが大阪の街を走っているという姿を表現した。2003年には大阪城や通天閣などとともに「大阪市指定景観形成物」にも選ばれている。