「上司は私だ」過度な序列意識が部下の恐怖を煽る 感情を排して部下を監督すると何が起きるか
これらを阻むものは、いったい何なのか? ■「垣根を越えてつながる」とは それはやはり、人々が抱える恐怖心、権力の勾配、心理的安全性の欠如が根底にある。 ここで紹介する、「垣根を越えてつながる」とは、恐怖心への対抗手段となるものだ。 「垣根を越えてつながる」とは、他者を気にかけることである。他者が何を考えているのか、どのように感じているのか、個人的な目標は何かを気にかけることだと思えばいい。 要は、権力ある立場から判断を下すのではなく、隣に並んで応援する立場をとるのだ。
垣根を越えてつながることで、実際に見たものや思ったことを安心して口にできるようになる。 ほかに誰ひとりそれを見たり思ったりしていなくても、正しいと99パーセント確信できなくても関係ない。 つながることで、多様な考え方や意見のバリエーションを後押しする条件が整う。無気力だった人が行動を起こすようになる。 垣根を越えてつながることは、青ワーク(判断や意思決定)の有効性を高めるカギだ。 また、考えることから、行動を起こす(赤ワーク)ことへの移行が促されるので、赤ワークをやり遂げる力を支える役目も果たす。
「垣根を越えてつながる」ことは、産業革命期に誕生した古いやり方のなかには存在しない。 古いやり方にあるのは「同化」だ。これは、与えられた役割への同化を求められることだ。 私は経営者で、君は従業員。あなたは船長で、私は船員。私は親で、おまえは子供。あなたは先生で、私は学生、という具合だ。 青ワーカーと赤ワーカー、すなわち監督者と作業員に立場が分かれている状況では、垣根を越えたつながりなど不要とみなされるどころか、求められもしない。
■職場に「感情」を取り戻そう 何よりも求められるのは、序列のなかの各自の役割に同化することだ。 誰かの下につく立場なら、チームの優秀な一員となることが求められる。 波風を立てる、誰も認めたがらない事実を口にする、上司が決めたことに異を唱える、といった行動は避けなければならない。 上の立場なら、感情を切り離し、部下とは距離を置き、立場と権力を使って部下に作業を強要することが求められる。 産業革命時代の監督者は、職場から一切の感情を排除することを望んだ。