【世界が注目】「日本のいちばん長い日」「肉弾」…“戦中派”映画監督が描き続けた戦争の生と死、ETV特集『生誕100年 映画監督 岡本喜八が遺(のこ)したもの』
〝無性〟に撮りたくなった作品
同作は大ヒットするとともに、評価も高かった。ところが、喜八は完成の直後から別の作品を猛烈に撮りたくなる。これもまた喜八の代表作となる『肉弾』(68年)である。『日本のいちばん長い日』の作品を念頭においた『肉弾』の創作メモが残っている。 「事実は再現し得ても、事実をみつめる私(国民)は主調し得たのか。(『日本の』)が完成した直後、私は『無性』に撮りたくなった。『日本の』に欠落したモノを。『肉弾』は、岡本喜八そのものである」 主人公に名前はない。「あいつ」と呼ばれる兵士は、ドラム缶に乗り込んでその下に取り付けられた魚雷で敵艦を撃沈することを命じられる。 「あいつ」の生年月日は、喜八と同じに設定されている。肉弾つまり人間魚雷と化すまでに「あいつ」は、戦闘によって両手を失った老人の排尿を手伝ったり、美少女と出会って関係を結んだりする。 筆者自身の経験を告白するのはいささか照れ臭いのだが、実は『肉弾』が上映期間中に喜八作品を観たのが最初である。喜八は東宝に撮影の資金を出してくれるように頼んだが、断られる。喜八を支援したのは、斬新な映画を支援する映画会社・日本アート・シアター・ギルド(ATG)だった。製作費は1000万円。ATGが半分、残りを喜八一家が負担した。 映画好きの少年の間では、低予算ながら優れたATG作品を観るのはちょっと背伸びをした感じがした。『肉弾』では、オーディションによって選ばれた少女役の大谷直子が大胆なヌードシーンを演じる、ということもあって映画館のチケットを握りしめた。 『肉弾』のラストシーンは、「あいつ」の発射した魚雷がそのまま水中に没してしまい、ドラム缶に乗ったまま骸骨となって、68年盛夏の水着姿の女性が海岸一面に広がる浜辺に近づいていく。「あいつ」の骸骨は「馬鹿野郎!馬鹿野郎!馬鹿野郎…」と叫んで幕である。
現代のエンタメにも影響
講談ブームを引き起こしいる、神田伯山は喜八の戦争における生と死のテーマに、最も早く気がついた人物のひとりだろう。池袋が地元の伯山は、大学生時代に毎日のようにいわゆる二番館の映画館で作品を観続けたという。喜八の名前は知っていたが、『血と砂』を観た衝撃はいまも忘れない。 伯山は語る。「(ノルマンディ作戦成功後も続いた戦闘を描いた)『プライベート・ライアン』以上に戦場の現場にいる感覚があった。主調が表にでていない。エンタテイメントは、主張が核に隠れているほうがよい。(『血と砂』は)ポップな映画だと感じた」 『血と砂』は曹長役の三船敏郎が統率する音楽隊の物語である。部隊には、新聞記者を名乗る謎の人物や曹長を慕う慰安婦も加わっている。 音楽隊のメンバーは、それぞれが担当する楽器の名前で呼ばれている。20歳に満たないふたりの兵士が戦闘で死ぬ。曹長は「しめっぽくなく、明るく送ろう!」と。 なんと、『聖者の行進』を演奏しながら、歩き始めるのである。 音楽隊のメンバーは次々に戦闘で死んでいく。すでに、敗戦に終わったことも知らずに。ラストシーンは、敗戦を知らせるビラを握ってかけて寄ってくる兵士を、音楽隊の伊藤雄之助が打ち殺す。 横浜国立大学准教授のファビアン・カルパントラ氏は、日本映画を社会や経済のなかで位置づけする研究を続けている。そのなかで、相米慎二監督が最も面白い映画として、2作上げているが、いずれも喜八作品だった。『独立愚連隊』(59年)と『独立愚連隊西へ』(60年)であると。 独立愚連隊といるダメ兵士を集めて名づけられた部隊が、戦闘を繰り返しながらも、サスペンスも織り込まれた異色作である。カルパントラ氏は、相米監督の言葉を紹介する。 「日本の戦争映画は、暗い、陰湿なイメージが強い。岡本監督の作品(上記2作品)は、コメディの中から戦争を批判する」と。