アルゼンチン国家の虐殺責任、告発指導者の死が問う「いま」
「1977年4月の朝、息子のグスターボは仕事に向かう途上で拉致されて以来、行方不明のまま。私はブエノスアイレスの自宅で洋服の仕立てを教えていた普通の主婦でしたが、その日以来、私の人生は全く変わりました。グスターボは経済学を修め、左派系の政治組織に属し、貧困地域での社会奉仕活動に従事していました」 2018年秋、「女たちの戦争と平和資料館」(wam)や上智大学共催の集会に招かれて来日したノラ・コルティーニャスは、胸中に静かな怒りを燃やしつつ、そう語り始めた。グスターボが巻き込まれたアルゼンチンの国家犯罪――1976年から83年まで続いた軍事独裁政権による拉致・拷問・謀殺・隠蔽事件の被害者は3万人と推定され、ノラをはじめ「5月広場の母たち」の粘り強い真相究明・責任追及は今も続く。
そのノラがしかし、5月30日に亡くなったとの報が日本の支援者にも届いた。94歳だった。パレスチナ・ガザやウクライナで続く侵略と虐殺の「いま」の時代に、彼女の死は「民衆の抵抗」のあり方を世界に向けて静かに問いかける。地元メディアはもちろん、『ニューヨーク・タイムズ』『ワシントン・ポスト』など米紙も挙って大々的に訃報を掲載したが、日本では、ほぼ黙殺され続けている。 73年には自由選挙で選ばれたチリのアジェンデ社会主義政権が米CIA(中央情報局)の謀略で軍によって転覆させられるなど、米国は情報機関を使って自国の裏庭と見なすラテンアメリカ諸国の左派勢力の追放を図っていた。いまパレスチナでは、ハマースが正当な選挙で政権を獲得したにもかかわらず、米国や〝西側〟諸国がこれを認めずにイスラエルを盾に軍事介入しているが、アメリカはチリなど中南米においては軍部・軍閥を盾に政治工作をしていた。 アルゼンチンの軍事独裁政権も米国の支えなしにはありえなかった。同政権下で左派系労働者や「転覆活動分子」と見なされた反政府市民・インテリが大量に「失踪」し、軍や治安部隊による秘密連行先の拘禁・拷問・虐殺施設はいま分かっているだけでも国内700カ所以上にのぼっている。