アルゼンチン国家の虐殺責任、告発指導者の死が問う「いま」
〝和解〟という構造的暴力
ノラたちの来日時の報告でも、▽1983年の民政移管後の政府が調査委員会を立ち上げて報告書も出し、ある程度の事実関係が浮かび上がった、▽85年には軍事政権当時の大統領が有罪判決を受けた、▽一時は責任者処罰も進むかに見えたが、86年から免責法による対軍裁判の制限や加害者への恩赦が拡がった――などが明かされた。国家の側が「国民和解」という美辞麗句で「加害者の不処罰」とセットで提示したとき、ノラたちの闘いは「私は忘れない、私は許さない、私は和解しない」との宣言に発展していく。 「日本軍『慰安婦』(性奴隷)をはじめとした侵略・植民地支配の問題では、日本で『リベラル』と言われる人たちが〝和解〟ありきの議論を推進し、その意味は『日韓』など国家間和解の文脈で語られていた。『前に進む』ために被害者が『許す』ことを求める主張さえある。それは誰が『前に進む』ための『和解』なのか?」 wamの渡辺美奈は、新たな構造的暴力として〝和解〟圧力が被害者らの前に立ちはだかっている現実に苦悶。そんなときにアルゼンチンを訪問、「私は」の主語で始まるノラたちの宣言に、抗い続ける力の源泉を知らされた。 アルゼンチンでは拉致被害者の3割が女性。強かんなどの性暴力が支配の手段となり、権力側からは強かん・性暴力を「恋愛」や「疑似恋愛」として描く言説まで流された。それがまた、被害者の沈黙を世論誘導していた。凄絶な強かん被害が告発された海軍施設内での生還率は5%だった。 ノラたちの告発運動で「強制失踪」という国家暴力は国連用語にもなり、2006年に国際人権条約として結実している。(敬称略)
本田雅和・編集部