【マキ上田連載#13】ブラック・ペアとの戦いで首にロープを巻かれて窒息寸前 後々芸能の仕事で…
【マキ上田 ビューティ・ペアかけめぐる3年間の軌跡(13)】1976年6月に初めて手にしたWWWA世界シングル王座は半年後、赤城マリ子に奪われるも77年7月に奪還。そして同年11月に日本武道館で「ビューティ・ペア」を組むジャッキー(佐藤)が私のベルトに挑戦することになりました。 【写真】ビューティ・ペアと死闘を繰り広げたブラック・ペア 武道館でプロレスの大会をやったのは全女が初めてだったんじゃないかな。試合は60分1本勝負で時間切れ。判定でベルトを失います。でも判定だから負けた気はしていない。その後「白いベルト」って呼ばれてたオールパシフィック王座も取ったんだよね。その時代全部のベルトを巻いた人はいなかったから、私が初めて3大王座を巻いた人になったんですよ。歴史を残せたってことだけは自慢できるね。 当時タイトルマッチも多かったけど、ビューティ・ペアの需要が多かったからタッグマッチが増えて、阿蘇しのぶと池下ユミのブラック・ペアと毎日のように戦いました。反則ざんまいのブラックに挑むビューティっていう関係が盛り上がったんだよね。池下は私より後に入門してきて、寮で一緒に住んでたこともあって少し気弱なかわいい後輩ってイメージ。阿蘇は先輩だけど、地味でおとなしい子だったからヒールをできる子じゃないって思っていた。 それでも試合が始まるとボコボコにやられてね。ある日、首にロープを巻かれて窒息しかけたことがあった。しかもレフェリーが「反則だ」って言ってロープをシュッて取ったら首をやけどし、首すじに傷がついちゃって芸能の仕事でめちゃくちゃ心配されましたね。 ジャッキーとペアで組んでるとさ、よく不仲説みたいなのが出るじゃない? 正直、私たちの仲は良くも悪くもなかった。プライベートで遊んだこともないけど、試合だとパートナーだから言葉を交わさなくてもアイコンタクトで何をするかわかるぐらい。ケンカ? そんなことしたことない。あんまり腹立つことがない性格だからさ。 でも1回プロレスで怒ったことがあった。ジャッキーにじゃなくて、外国人選手だったんだけど。試合中、自分が相手の肩の上に乗っかって、そこから回転エビ固めの形でフォールする技をかけたの。その時に相手がよろけちゃって私は頭からマットに落ちた。もちろんとっさに頭を引いたんだけど、背骨につながる首の付け根の骨がつまっちゃって、日本語でものすごい怒鳴ったね。 それから病院でモルヒネを打ってもらって。さらしを巻いて試合してたけどなかなか良くならなくて。東京に帰ってからはカイロプラクティックとかに通ったけど、試合するとまた戻っちゃうから、自分で骨を支える背筋を鍛えてた。今も多少は後遺症として残ってるけど、こればかりはしょうがないよね。
マキ上田