「タレントが出ない年でもジャニーさんはやってきていた」…「ジャニーズ」と『紅白』の歴史を振り返る
SMAPが登場…嵐ありきの『紅白』に
こうして平成に変わり、平成2(’90)年に忍者、そして翌3(’91)年からとうとうデビュー間もなかったSMAPが登場する。中居正広が初司会をつとめた平成9(’97)年にはすで出場7回目となっていた。 この年は第2部のトップバッターだったが、司会2年目の翌年第49回では『夜空ノムコウ』で天童よしみを相手に後ろから3番手。そして平成15(’03)年には『世界に一つだけの花』で大トリをつとめるのだ。グループ歌手がトリをとったのはこのときがはじめて。まさしく、誰もが認める日本歌謡界のトップ歌手に君臨した日でもあった。 平成6(’94)年から、ジャニーズ恒例のカウントダウンライブとの兼ね合いで出場者は基本的にSMAPとTOKIOの2組のみという時期が続いていたが、その構図が変化しジャニーズの存在感がグ~ンと高まるのが、すでに中居の司会が定着し5回目となった平成21(’09)年からのこと。デビュー10年目の嵐が初出場し、NYC boysも加わって計4組。ここからは活動休止前まで、嵐ありきの『紅白』がスタートする。 2回目出場の第61回(’10年)から5年連続で嵐として白組の司会。『感謝カンゲキ雨嵐』と『GUTS!』のメドレーを歌いながら、フライングや早着替えなどを披露、客席を沸かせた初トリの平成26(’14)年には、すでに3回目の関ジャニ8、2回目のSexy Zoneに加え、遅ればせながらV6も初出場で計6組。当時の史上最多記録となったのである。 翌’15年にはそのV6の井ノ原快彦がNHKの人気番組『あさイチ』のメインキャスターとしての実績も買われて司会抜擢、近藤真彦がカムバックしてトリ。翌’16年からは嵐のメンバーがひとりずつ司会をつとめることになった。さらに昨年は櫻井翔が総合司会。このラインから今年は白組の司会を単独で未経験だった松本潤の司会が有力視されていたのだ。 ◆そして、ジャニーズ一色の『紅白』 ’17年のHey!Say!JUMP、’18年はKing&Prince、’19年にはKis-My-Ft2と初出場の若手も続出、嵐の活動休止の’20年には初出場が決まったSixTONESとSnow Man(コロナ感染でこの年辞退)も合わせてジャニーズ事務所として’15年に並ぶ最大の7組だった。 昨年は彼らに加え、なにわ男子が初出場しKinki-kidsも返り咲くなど、ここ数年の『紅白』はまさしくジャニーズ一色だった。いや『紅白』に限らず、あらゆるメディアの中心にいたのだ。 それが’23年は旧ジャニーズから出場ゼロとなったわけだが、どちらにしても今年は禊ぎの年である。出ても出なくてもどちらにしても何か言われる。全員出場しないことが却って潔くて気持ちがいい気もする。 ジャニーズからフォーリーブスまでの空白は5年あった。フォーリーブス落選から田原俊彦から始まるジャニーズ旋風までの期間は3年。5・3と来たのだから今度は1であろうか。1年休んで、来年からまた再び『紅白』でSMILE-UP.の少年たちの活躍を見たいものである。どちらにしても『紅白』の新しい一歩には違いない。 文:合田道人 1979年、高校在学中に渡辺プロダクションから、シンガー・ソング・ライターとしてデビュー。その後、音楽番組の構成演出、司会、CD監修解説に加え、新聞、雑誌での執筆、作詩作曲、ラジオDJなど多方面で異才を発揮する。著書に『童謡の謎』『神社の謎』『昭和歌謡の謎』(祥伝社) 『怪物番組紅白歌合戦の真実』(幻冬舎)などがあり、現在『歳時記を歌った童謡の謎』(笠間書院)もヒット中。理事長を務める日本歌手協会の番組『新春12時間歌謡祭』が1月2日昼12時から24時までBSテレ東で放送される。
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