山本美月 数々の挫折にも「ゆとり世代と言われたくなかった」
UULAで配信中のオムニバス恋愛ドラマ「奇妙な恋の物語 -THE AMAZING LOVE STORY- Episode2 恋するエスパー」で、主演を務めている山本美月(23)。2009年からファッション誌「CanCam」の専属モデルとしてキャリアをスタートさせ、昨年から本格的に女優として活動を開始。テレビドラマ、映画、舞台と活動の幅を着実に広げ、2014年上半期には8社のCMに起用されるなど(ニホンモニター調べ)、順風満帆と言えそうだ。ところが山本にその言葉をぶつけると「私はずっと“下”の方にいた」との意外な返答。そこには涙を流し続けた、つらい経験があった。 ■掲載されない写真 「自分は必要とされていない…」 高校3年の時に「第1回 東京スーパーモデルコンテスト」でグランプリを獲得。福岡から上京し、そのまま人気ファッション誌「CanCam」の専属モデルになった。モデル志望者の女子にとっては、まさに現代のシンデレラストーリーのように映るかもしれない。ところが現実はそう甘くはなかった。 「モデルになったばかりの時は毎日のように泣いていましたね。撮影したカットが雑誌に掲載されないことの方が多くて、『必要とされていないんだ』と思い悩む時期が長く続きました」と、プロの壁の高さに打ちのめされる日々を振り返る。表紙や特集での扉絵の起用や使用されるカット数などが、モデルたちにとっては人気のバロメーターとなる。売れているのか否かは一目瞭然だ。「表紙に取り上げてもらえるようになったのはここ最近のこと。色々な方に『ポッと出てきたような子』と言われる事もあるけれど、私はずっと“下”の方にいたんです。モデルを初めて3年くらいは、皆さんの目に触れることも、気づかれることもなかった」と“順風満帆”を否定する。 ■「辞める」ことも考えた挫折 山本の言う“下”で、もがいていた頃の出来事。とある企画に起用されるはずが、直前になって白紙に戻されたことがあった。それまで何度もつらい経験を乗り越えながら、チャンスを窺っていた山本だったが、その時に初めて「辞める」という選択肢が脳裏を横切った。しかし、踏みとどまる。理由は山本なりの反骨心だった。「『私を使わなかったことを後悔させたい』と思いました。当時の心境は世間的に『性格の悪い子』と思われるものかもしれない。でも、この世界で自分の夢や目標に向かうためには『絶対に負けたくない!』という気持ちだって大事」と、生き残りの激しい世界で真剣に戦ってきているからこそ胸を張る。 高校時代は演劇部に所属していたほどの女優志望。2011年に念願の役者の世界に飛び込んだが、やはりここでもプロの壁が立ちはだかる。映画デビュー作『桐島、部活やめるってよ』では、女性キャストの中で最年長だったが「キャリアでは一番下。その時に『私って全然ダメじゃん……』と思わされて、焦りを感じた」と振り返る。さらに別の作品では「先輩俳優さんたちのいる前で監督から怒鳴られて、泣きながら電車で帰ったこともある」と、女優としてのキャリアでも出鼻をくじかれている。それでも前を向き続けられるのは「モデルでの苦労した下積み時代があったからこそ」と言う。 ■「“ゆとり世代”と言われたくない 絶対に嫌」 「たくさん恥をかいて心が挫けたからといって、辞めるのはよくない。私の世代は何かにつけて“ゆとり世代”という目で見られるから、そこで辞めたら周囲からきっと“まぁ、ゆとりだからね”なんて言われてしまう。それだけは絶対に嫌」と、世代に対する偏見に身をもって立ち向かう。