岡山県“実は第3の町のターミナル”「津山」には何がある?
400年以上前にはじまった今の「津山」
天満屋を中心とするアーケードは、西に及んで県道68号線の大通りにぶつかって途切れる。ただ、町並みとしてはまだまだ続く。というのも、このアーケード、江戸時代から津山の町の背骨のような役割を果たしていた出雲街道にあたる。県道の西側も、出雲街道にはアーケードが架かっていたこともあるという。 実際に足を伸ばしてみると、昭和の面影を感じる商店街の名残のような一角が続き、その向こうには藺田川を挟んで近代の西洋建築のような建物がポツポツと。神社仏閣の集まる寺町も広がっている。 アーケードを抜けた先の出雲街道の町並みは、「城西重要伝統的建造物群保存地区」という。 現在の津山の町は、関ケ原の戦い後に森忠政が18万6500石で入って城下町を築いたことにはじまる。17世紀末からは津山松平氏が入り、10万石の城下町で幕末を迎えている。なかなかの規模の藩といっていい。その時代から、出雲街道が東西に通り、吉井川の舟運で瀬戸内海にも通じるという物流の要衝だった。 中国山地の中といっても比較的開けた盆地であり、古くは美作国の国府も置かれた中心地。人もモノも集まる中国山地の中心都市という性質は、かなり古くから受け継がれてきたものなのだろう。近代以降も鉄道が3路線乗り入れる拠点となって発展してきた。 津山にとって最初の鉄道駅は、中国鉄道(現在の津山線)の津山駅。1898年に岡山駅から伸びてきて開業した。ただ、この津山駅はいまの津山駅とは違い、少し西側にあった。
出雲街道の町並みは、そんな最初期の津山駅で降り立った人々が中心市街地への往来で通る道筋。そのため、西洋建築が生まれるなど近代の息吹と江戸時代の息吹が交差したような町並みが形成されたのだ。 なお、現在の津山駅は1923年に開業した。それに合わせて初代の津山駅は津山口駅に名を変えて、いまは小さな無人駅として営業を続けている。 そして、津山の町には、近代と近世の入り混じった町並みだけでなく、もっと近世の比率が高い町並みも残っている。