女子プロレスラー・小石川チエ名前の由来…「みんなで後楽園に行けるように」8・31我闘雲舞・後楽園でついに実現!
後楽園進出を聞いて「ちょっと衝撃的でしたね」
我闘雲舞の小石川チエは昨年11月に左ヒジ靭帯の怪我により長期の欠場に入り、4月に復帰した。 【動画】小石川チエ復帰戦 欠場期間やプロレスをはじめたきっかけ、8月の後楽園ホール大会や自身の名前の由来などを訊いた。 ――まずは復帰後、まだ間もないわけですが、左ヒジの状況はいかがでしょうか。 チエ もう無事、元気に活動させていただいています。ヒジもほとんど、怖いという動きはなく、やらせていただいていますね。 ――昨年11月から欠場に入り、復帰までに約半年間かかったわけですが、その間、気持ち的にはいかがでしたか。 チエ やっぱり焦りと気持ち的に落ちるみたいなのが結構大きくあって。でも、なんとか寮でメイさんと一緒に過ごさせていただいたりとか、欠場期間中も、手術をした翌々日の一大会以外はずっと大会のお手伝いをさせていただいて、人前に出ることもあったので。 ――やっぱり欠場中でも、人前に立つことで気がまぎれるものがあったと。 チエ 自分の場合はそうでしたね。小石川チエでいる場所があったほうが自分としては戻ってくるぞという気持ちになれましたね。 ――さて、復帰されると、もう8月31日の後楽園ホール大会がもう近づいてきましたね。 チエ 調べたら今日(インタビューの時点)で122日ですね。 ――もうあっという間ですね。 チエ そうなんですよ、気が付いたら…(笑)。 ――最初、後楽園進出を聞いた時はどう思いましたか。 チエ ちょっと衝撃的でしたね。(四ツ葉)ミヤさん、(瀬戸)ノノカさんが入ったタイミングではあったんですけど、「おおおおお~、さくらさんもアメリカにいらっしゃるのにぃ~」って思いはしたのですが。帰ってきての発表だったので、そんな(アメリカと)行ったり来たりされながら?と思ったりして(笑)。 ――発表したのが昨年11月、新木場大会の時でしたね。 チエ 自分、その時欠場していたので、早く復帰しなきゃって思いましたね。人いないじゃんみたいな(笑)。 ――その後楽園大会に向かって、いまどのように考えていますか。 チエ みんなで元気に向かいたいっていうのが一番にあります。いま練習生の方が二人いるんですけど、さくらさんも「もっと増やしたいのよ」っておっしゃってて、仲間は多いほうがいいというのも。やっぱり我闘雲舞が毎年、後楽園ホールができるかと言えば、そういうわけじゃないんだろうなっていうのは自分も5年目になるので思っていて、みんなが一人でも多いほうがいいなっていう気持ちはあるというのと、もう一つ、個としての力が欲しいなと思います(笑)。 ――わかりました。まだ122日あるので、それまでにそれらが可能になって、後楽園大会が盛り上がることを期待しましょう。ではチエさんのプロレス入りまでを振り返りたいと思います。まず、経歴で一番目につくのがフェンシング出身というプロフィールだと思います。これをはじめたきっかけというのは? チエ 高校へ入るときに、高校の見学を何校かするじゃないですか。その時の一校に、体育館にフェンシング部というのが貼ってあって。 ――中学までのスポーツは? チエ もともと中学でバレーをやってて、高校がバレーが強い学校だったので、バレー部か、フェンシング部かと思っていて、部活の勧誘ってあるじゃないですか。自分の一つ上の先輩が一人だけいるんですけど、その方から「フェンシングは合法的に人を突くことができるよ」って言われて。人を刺したりするのは法に触れるけど、そう言われて、「わかりました、入ります」って、ウフフ。 ――「人を突く」のが決め手と(笑)。実際にやってみて、いかがでしたか。 チエ おもしろいスポーツでもあり、難しいスポーツでもあります。一般的にはそんなに普及しているスポーツではないと言うか、話題になるのはオリンピックの時くらいですかね。とはいえ、近代5種には入ってて。それこそバレーとか、バスケとか、オリンピックでも柔道とか、そういうものに比べると知名度がないので、やってる人口が少なくて、それで上に行けるかなっていう甘い考えもありました(笑)。結局、特に賞とか取ってないんですけど。 ――でも、プロレスラーになってから、その経験が生きている気がしますね(笑)。 チエ そうですね、なんだかんだ高校3年間、何をしたかと言われたら部活をしましたっていう感じではあったので…すごいおもしろいスポーツなんですよ(笑)。でも経験者と会ったことがなくて。一人だけファンの方で、「自分、フェンシングやってたんですよ」って方がいただけで、 プロレスラーでも聞いたことないですね。フェンシングって、そうそうやれる環境があるわけではなく、私が高校のときは静岡で(フェンシング部があるのは)4校…今は5校かな。