「道頓堀プロレス」が旗揚げ1周年、代表の空牙選手に聞く/大阪
道頓堀プロレスを立ち上げたのは?
―大阪プロレスを辞めて道頓堀プロレスを立ち上げたのは? 大阪プロレスは社長が交代して、民間の方が社長になって。まあいろいろあって、正直、複雑な心境で。辞めたのが去年の4月です。それから道頓堀プロレスを立ち上げました。構想はあった。辞めた後はこうして行きたいというプランがあったので、今はプラン通りに進めている。 もともとミナミでやりたいなというのがあって。自分についてきてくれた選手ともう一回、ミナミでやろう、と。他にもフリーの選手とかにも声をかけて。 4月に辞めてから、9月に正式に団体名をつけた。それが「道頓堀プロレス」です。大阪プロレスを辞めて、こっちに戦いの場を移した選手もいます。当時はキタは大阪プロレス、ミナミは道頓堀プロレスと、南北にわかれていて。大阪プロレスがああなったことはショックでしたけど(昨年3月、大阪プロレスは『経営悪化から事実上解散』などとマスコミに報道された。しかしその後、新体制で運営している)。 大阪のプロレス団体は、お笑いって言うのが必ずある。それは東京にはなかった。関西人はお笑いっていうのが重要な要素で、だから「太陽党仮面」(基本的にはお笑いキャラ)をつくった。 道頓堀にちなんだキャラクターをこれからもつくり上げていきたい。現在、プロレスラーを目指す人は、自分らがタイガーマスクに憧れたように、やっぱり誰かを見て憧れて入ってくる。今、練習生が2人いるんですけど、やはり動機は憧れでしょうね。自分への憧れだったらうれしいけど、違ってたら気まずいので、誰への憧れかは聞いてませんけど(笑)。今、所属選手は8名。みんなトレーニングはやってます。やってても、怪我しますから。
身体一つで喜んでもらえる仕事って、あまりない
―地域プロレスは共存共栄 プロレスの良さは、田舎に行けば行くほど小さい子どもからおいじいちゃんおばあちゃんまでファンがいる。プロレスって、テレビの世界でも何十年ってずっとある。地方に行っても、伝えやすいって言うのがありますね。喜んでもらえる。身体一つで喜んでもらえる仕事って、あまりない。 ミナミのど真ん中に戻ってきて、結果、常設会場がなくなった(今年3月に撤退)。それ以降、区民センターとかでやらしてもらっている。あちこちで試合をやっていたら、いい機会というか、そういう各所各所で知ってもらえる。ミナミに来づらい人も来られるし。この前、ミナミの角座広場で会場を設置して試合をやりましたが、角座広場でも定期的にやっていきたい。介護施設などでも、この前は夏祭りでしたが、リングを組んで試合をしました。施設の方と触れ合ったり、名前を覚えてももらえたり。そんな活動を今後も続けていきます。地域プロレスは共存共栄だし、応援よろしくお願いします。 7月6日から「初代道頓堀最強男決定戦トーナメント」を開催中だ。8月10日には、初代チャンピオンが決まる。過日行われた試合(会場:庄内フットサルフィールドジーニョ=大阪府豊中市)では、真剣勝負とも言える戦いが繰り広げられた。凶器の折り畳み椅子で対戦相手の膝や足を何度も強打するヒールレスラーに対して「もう、やめたりや。足折れるやんか」と客席から悲鳴が飛ぶ。だが、ヒールレスラーも心得たもので、客席に向かって足を折るポーズをしてさらに煽る。客との一体感はプロレスならでは。大胆な空中戦も見どころのひとつだ。道頓堀プロレスにはイケメン選手も何人かいて、彼らには、若い女性のファンがしっかり声援を飛ばしていた。
道頓堀プロレスの8月の試合は
道頓堀プロレスの8月の試合は、10日「SUMMER CRASH2014 ~初代道頓堀最強男決定戦トーナメント~」/大阪・東成区民センター。23日~24日「UO×道頓堀プロレスin和歌山2DAYS」/和歌山・ビアホールダイニングUO。31日「道頓堀プロレス1周年記念シリーズ ~アニバーサリー2014~」開幕戦/大阪・平野区民ホール。その他、試合日程や開始時間など、詳しい内容は公式サイトで。 (文責/フリーライター・北代靖典)