「相撲の神様」“初代”大ノ里が果たせなかった優勝に天内家の当代「うれしい」
◆大相撲 夏場所千秋楽(26日、東京・両国国技館) 初土俵から7場所目で最速優勝を果たした新小結・大の里のしこ名の由来となった、大正から昭和初期にかけての名大関と呼ばれた大ノ里萬助の親類がエールを送った。 【写真】初優勝を飾り支度部屋で目頭を押さえる大の里 「大の里」のしこ名は昨年4月、二所ノ関部屋入門に際してつけられた。由来となったのは大正から昭和初期にかけて活躍した名大関で、「相撲の神様」と呼ばれた大ノ里萬助(本名・天内萬助)。青森・藤崎町に住み、天内家の当代にあたる天内司さん(71)はこの日、「自宅で見ていた。“初代”の大ノ里関は優勝できなかったので、うれしい。むしろ優勝が早すぎるくらい」と喜んだ。 昨年3月15日に突然、天内さんの電話が鳴った。青森出身の西岩親方(元関脇・若の里)からで「『おおのさと』のしこ名を使って良いでしょうか」との連絡だった。続けて、二所ノ関親方(元横綱・稀勢の里)からも許可を求める電話が入った。実は二所ノ関親方が現役時代、本名の萩原から改名する際に候補の一つだったしこ名。思わぬオファーに天内さんは「ぜひ使ってください」と快諾。その後、大の里からは手形付きのサイン色紙が送られてきた。現在は“初代”の写真などと一緒に自宅に宝物として飾ってある。 天内さんが生まれる15年前に大ノ里は亡くなった。両親からは、相撲界のために私財をなげうち「亡くなった時は財産はほとんどなかった」など人格者としても尊敬されていたエピソードを聞いていた。大の里との面識もないが、しこ名が呼ばれる度に「身内みたい」とデビュー以来、親近感を抱いている。「大ノ里という力士がいたことを多くの人に知ってほしい」と、昨秋からは神社に納めていた化粧まわしや明け荷を町内の施設で一般公開している。 “初代”は164センチ、97キロと小柄ながら怪力で大関に7年間在位した。大の里には、大関、横綱の期待もかかるが「横綱になるよりも、心技体で力士としての姿勢を追求してほしい。(昭和の名横綱)双葉山も神様と言われているけれど、そんな力士になってほしい」と願った。(山田 豊) ◆大ノ里 萬助(おおのさと・まんすけ)本名・天内萬助。1892年4月1日、青森・藤崎町生まれ。1912年1月場所に初土俵を踏むと、16年5月場所で新十両。18年5月場所で新入幕。25年1月場所で新大関。32年1月場所で引退。優勝はなし。38年1月22日に45歳で死去。幕内通算217勝147敗22休6分4預。
報知新聞社