シンガー・ソングライター、白井貴子 ロックに男女なんて関係ない 45周年は通過点、終わらない〝永遠のロックの女王〟の伝説
デビューするや〝ロックの女王〟や〝学園祭のクイーン〟といった称号をほしいままにし、スターの階段を一気に駆けのぼった。 【写真】歌を大切にしながら、母の介護をしていた白井貴子 「実は…」と打ち明けられた事実に驚かされた。 「デビューしてから約4年ほどはステージ衣装は自作だったんですよ。私が描いたデザイン画を見ながら母が縫ってくれていたんです。母と一緒に生地を買いに行っていたんですから」 一世を風靡した華やかなステージの裏には、こんな涙ぐましい母子の絆があったのだ。 だが、そんな苦労をはね返す力強い歌声で全国のファンを魅了。間違いなく日本の女性ロックシンガーの道を切り開いたパイオニアだった。 「ひと月に25本の公演を開催していたんですよ。つらくなかった? ツアーは楽しかった。だって大好きな音楽でプロになれたのですから」 ソロツアーで日本武道館や西武球場など全国の大会場をフルハウス(満員)にし、ステージの幕が上がると、同時に観客が一斉に立ち上がって熱狂することから〝総立ちの貴子〟とも呼ばれた。 それでも「女性ロッカーへの風当たりは強かった」という。 「当時は女性歌手がロックを歌うことに対し、まだまだ音楽業界での理解は少なかった」と吐露する。それだけに、「作詞作曲だけでなくアレンジ(編曲)まで手掛け、自分のイメージで歌ってきた」とこだわる。 「ボーカルとして、男性のバンドメンバーにはかなり厳しく指示していました。だってロックに男女なんて関係ないですからね」と笑う。 11月1日、再来年のデビュー45周年を宣言する〝キックオフライブ〟を大阪で開く。公演では名盤と誉れ高い「FLOWER POWER」(1985年)を完全再現。大ヒット曲「Chance!」も歌う。 「大阪は母の故郷。私も3歳の頃に住んでいた思い入れの強い地です」 公演実現のために動いたのは歴代マネジャーやかつてのスタッフたちだった。「45周年はファンのために恩返ししないと…。そう背中を押してくれたんです」 バンドメンバーもスタッフも男性ばかり。ずっと〝紅一点〟だったが、「昔は、歌もお酒でも女性だからと負けてはいられなかった。本当にクレイジーな生活で」と笑うが、率いてきたバンドの名はまさに「THE CRAZY BOYS」だ。