キャラ濃すぎ…フランス代表、歴代ストライカーの系譜(3)栄光、戦犯、ハンド論争…数々の話題を残した伝説的FW
フランス代表はこの四半世紀で最も成功を収めたチームの1つだ。1998年のフランスワールドカップと2018年のロシアワールドカップで世界の頂点に立った。そして、常に傑出した能力を持つエースストライカーが最前線に君臨していた。今回はフランス代表の近代史を語るうえで欠かせないエースたちの系譜を、ワールドカップを起点に振り返っていく。
ティエリ・アンリ 生年月日:1977年8月17日 個人成績(1998):6試合出場/3得点0アシスト 個人成績(2002):2試合出場/0得点0アシスト 個人成績(2006):7試合出場/3得点1アシスト 個人成績(2010):2試合出場/0得点0アシスト 世代別代表時代から注目を浴び、同世代のダビド・トレゼゲやニコラ・アネルカらとともにフランス代表を長く支えた。A代表デビューは1997年10月の南アフリカ代表戦で、2010年南アフリカワールドカップ後に代表引退を表明するまで通算124試合出場51得点という成績を残した。 初めてのワールドカップ出場だった1998年のフランス大会は決勝以外の6試合に出場し、3得点でフランス代表の優勝に貢献。当時は絶対的な主力ではなかったが、2年後のEURO2000ではエースストライカーとして3得点を挙げる活躍で欧州制覇の立役者となった。 しかし、2002年の日韓ワールドカップでは中心選手として期待されながら、アンリはグループリーグ第2戦のウルグアイ代表戦で退場処分を受け、個人としても無得点、フランス代表はグループリーグ敗退と結果を残せず批判を浴びた。 EURO2004では連覇を逃したものの、2006年のドイツワールドカップでは大会を通じて3得点を挙げた。1998年大会の決勝には出場していなかったため、アンリにとって初めてワールドカップ決勝の舞台だったが、イタリア代表に敗れて準優勝に終わった。 2010年の南アフリカワールドカップに向けた欧州予選プレーオフ・アイルランド代表戦の延長戦で本大会出場を決定づけるゴールをアシストしたが、その際にハンドを犯していたことは世界中で大きな議論を巻き起こした。 自身4度目のワールドカップだった南アフリカ大会では2試合の途中出場にとどまり、チームもグループリーグ敗退となった。