息子の面倒を弟の妻に見てもらいながら<女性法曹のパイオニア>として飛躍した『虎に翼』モデル・嘉子。ただし特段「女性の問題」に熱心だったわけではなく…
◆日本婦人法律家協会 1950(昭和25)年、女性法曹が集まって、日本婦人法律家協会(1995年に日本女性法律家協会と名称を変更)が組織されました。 GHQ(この頃、まだ日本は連合国軍の占領下にあり、GHQが占領政策を実施していました)法務部の女性弁護士メアリー・イースタリングから、アメリカに婦人法律家の会があるので日本でも作ってみてはどうか、という提案を受けたことがきっかけでした。 8月に非公式の最初の会合がもたれ、9月に会が発足し、規約などが整って正式に会が設立されたのが10月であると考えられます。 会の目的は、「婦人法律文化の発達と会員相互の親睦をはかること」でした。 会員は9月の発足の段階では10名(正式に会が設立された時には15名になっていたようです)、裁判官、弁護士、大学教員などで構成され、初代の会長は、嘉子とともに高等試験司法科に合格した弁護士の久米愛でした。 愛はその後26年間にも渡って、会長を務めることになります。
◆嘉子は副会長に 嘉子は副会長となり、愛を助けて会の運営に関わっていきました。 ただし、嘉子自身は、女性の社会的・政治的・経済的な問題に対する運動にとても熱心だった、ということではありません。それは、嘉子が裁判官だったということがありますが、それに加えて、嘉子の気持ちは男性・女性ということに関わらず、「人間」であるというところにあり、また自身の仕事を通じて、男女平等の実現に関わろうとしていました。 愛・嘉子以外に、野田愛子(書記に選任されました)、渡辺美恵、鍛治千鶴子、人見康子(慶應義塾大学の共学一期生で、法学部法律学科の教授になります)、そして立石芳枝、石渡満子、渡辺道子などが初期のメンバーでした。 当初は小さな会でしたが、だんだんと人数は増えていきました。 1958年に「婦人法律家協会会報」第1号が刊行されますが、そこには85名の会員がいると記されています。 会員同士の親睦、研修、海外の法曹との交流(会の発足後すぐに、国際婦人法律家連盟にも加入しました)、女性法曹の地位向上などに向けて、積極的に運動していくようになります。 ※本稿は、『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』(日本能率協会マネジメントセンター)の一部を再編集したものです。
神野潔
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