伊達公子さんが2度目の現役引退で会見(全文1)痛みと闘う毎日だった
セカンドキャリアがファーストキャリアよりも長い年月をやるとは想像つかなかった
まさか私自身がセカンドキャリアがファーストキャリアよりも長い年月をやるとは想像もつきませんでした。そこに加え、二度目のキャリアで誰もがプロテニスプレーヤー目指す人は、もちろん世界のトップ100というものを大きな目標に掲げるんですが、二度目のチャレンジで40代を迎える私がトップ50をクリアできることが起きるとは私自身も想像できませんでした。 セカンドキャリアではもちろん、ランキング、トップ50という経験ももちろんなんですが、何よりも一度目のキャリアで経験できなかったツアーを楽しむということが、私にとってはとてもいい経験になりました。20代ファーストキャリアのときには外国に行くことも自分自身あまり好きではなく、いつもパスポートを持って、有効期限が切れてくれてないかなとか(笑)、飛行機に乗って涙ながらに、乗った瞬間から早く日本に帰りたいなと思うような日々が多かったのですが、二度目のキャリアでは本当に海外に行くことが好きになって、自分の半分の年になるような選手たちと冗談を言い合って話すことも、その選手たちと一緒に海外で現地の食べ物を食べることも楽しくなって、スタッフたち、またコーチたち、フィジカルトレーナーたちというのはほぼ私と同じような年代の人たちなので、選手とも、そしてスタッフたちともたくさんの人たちとコミュニケーションを取っていることが、とてもとても、私にとってはツアーの醍醐味の1つでもありました。 また、テニスというスポーツは一年中、オフシーズンが短いスポーツで、一年中、毎週違う場所で大会があります。毎週毎週いろんなところに行けるチャンスというのは、これはもう本当にテニスをやっていたからこそで、たくさんの国に訪れることも私のツアーの楽しみでもありました。 訪れた国を挙げれば本当に、テニスの場合、大都市に行くのが多いんですけれども、グランドスラムが行われるオーストラリア、パリ、フランス、ロンドン、ニューヨークと。その大きな大都市に加えてテニスが、大会が行われる場所にはなるんですけれども、ファーストキャリアのときには行く機会のなかった、アジアも含めて中東にも行くチャンスもありましたし、南米のほうに、メキシコにも行く機会も得ることができましたし、本当にたくさんの国を訪れていろんな国の文化、いろんな国の人たちのカルチャーにも触れることができたのもすごくいい経験でした。 とにかくセカンドキャリアというのは私にとってはただ第1キャリアのときのように勝負にこだわり、ランキングにこだわっただけではなく、もちろん負けることは大嫌いな性格なので、セカンドキャリアの中でももちろん勝負にこだわってはいたんですけれども、ツアーを楽しみながら最後まで戦うことができたことはとても幸せだったと思います。 最後の数年間というのは本当にけがに悩まされ、今思えばカムバックしたのが37歳のときなんですけれども、37から41歳ぐらいまでは本当にすごく元気だったんだと、41歳を過ぎてから少しずつ回復力というものに悩まされることが多くなって、そして最後の2~3年というのは痛みと闘う毎日で、それでもやはり大好きなテニスを続けたいという気持ちのほうが強くて、やり続けていました。けがと向き合わなきゃいけないことというのは、本当に精神的にもタフではあったんですけれども、これも1つ、自分自身で、自分の体をここまで考えて、自分が向き合えたことというのはすごく貴重な時間であったとも思います。