「こいつらはプロだから」たけし軍団の松尾伴内が語る“グレーゾーン”の舞台裏と師匠のひと言
昭和の時代はお笑いも過激で、芸人は自らの身体を張るのが当たり前。いわゆるリアクション芸が人気で、その先陣を切っていたのがビートたけし率いる、たけし軍団だ。 【写真】お笑い界を一世風靡、命がけで笑いを誘った「たけし軍団」勢ぞろい
NGになった「人間大砲」
「一番激しい時代でした。今ではできないこともたくさんしたし、怖い目にもずいぶん遭いましたね」 と話すのは、お笑いタレントの松尾伴内。試練の数々の中でも、過酷を極めたロケはというと─。 「バスごと海に落とされるゲーム。あれはキツかった!」 今なお語り継がれる、『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』(日本テレビ系)の“伝説の罰ゲーム”である。 「クイズが出て、マルかバツかで2台のバスにわっと走っていくんです。軍団とダチョウ倶楽部は危なそうなほうに行くというのがお決まりで、僕らの乗ったバスがやはり不正解となる。そのままバスごとクレーンでつられて、海にドボンと落とされて。海水がぶわーっと入ってくるから、もう必死。みんな“うわー!!”って大騒ぎですよ(笑)」 当時は番組スタッフが事前に試して安全を確認することもなく、いわば芸人が最初のチャレンジャー。ゆえにどうなるかは出たとこ勝負で、結果“放送NG”となったケースもある。大きな筒に芸人が入り、高所から飛ばされる、「人間大砲」もそのひとつ。 「たいてい僕が一番手なんですよね。このときも“まず松尾から!”と言われたけれど、誰も試していないから、どれだけ飛ぶかわからない。いざやってみたら、ピューッと思った以上に飛んで、下に敷いてあったマットの向こうに落ちちゃった。次に東国原(英夫)さんが飛んだら、今度は加減しすぎてマットの手前にちょんと落ちた(笑)。それでこれはやめようということになって」
『スーパーJOCKEY』(日本テレビ系)の名物コーナー「熱湯コマーシャル」でも、松尾が一番手を務めている。 「本当に熱いのかなと思っていたら、これが想像以上に熱かった。実際に温度を測ったら、50℃あるじゃないですか。僕から始まり、軍団が順に入って、もう1度順番が回ってきた。誰も頭から行かなかったので、これは行っておいたほうがいいかなと思って、覚悟を決めてドボンと飛び込みました」 とはすさまじいプロ根性だ。過酷ロケのエピソードは尽きることがない。冬はブリーフ一丁でスキーの雪山直滑降。夏は大量のヘビがうごめくプールでの水泳に、命の危機を感じたというサメが泳ぐ海へのダイブ。空手有段者との本気対決に、田んぼへの泥まみれジャンプ、大蛇の捕獲チャレンジ……。ブリーフにタランチュラを忍ばせたこともある。