最近「マッチ」で火を点けましたか?趣味で箱を集める人もいた暮らしの必需品
マッチ箱のコレクション
浮世絵師である安藤広重の「東海道五十三次」シリーズを描いたマッチ箱が登場した。銀行が顧客サービス用にと作り、店頭などで配っていた。日本の印刷事業が発展したきっかけは、実はマッチ箱のデザイン印刷であるとも言われている。この「東海道五十三次」シリーズを代表的なものとして、様々なマッチ箱を"コレクション"として集める人も多かった。ひとつひとつアルバムに貼って、収集する趣味を楽しむ魅力もあった。
学校で"活躍した"マッチ
マッチは火を点ける道具以外で、学校の授業でも活躍した。図画工作の授業では、たくさんのマッチ棒を使って、城や建物、さらに富士山などの模型などを作った。学校と言えばもうひとつ、マッチ箱の何ともユニークな使い方として"検便のケース"があった。戦後しばらくして昭和40年代に入る頃までだろうか、学校の健康診断では、検査のために大便を持参する必要があったが、それをマッチの空箱に入れていった。当時、専用の検査キットなど存在しない時代のことである。これを体験した世代も、随分、少なくなったことだろう。
現在は線香に火を点ける
日本でもガスライターが作られるようになり、1970年代に入ると、使い捨てできる「100円ライター」が登場した。マッチに代わる手軽な点火道具として一気に広がった。また、台所の調理器具にも自動点火装置が付くなど、マッチの役割は減っていった。最近、マッチを擦ったのはいつのことだろうか。お墓参りに行って、線香用のローソクに火を点けた時だった。墓参、そして仏壇、ここではマッチが活躍するが、それほど「マッチを擦る」機会は少なくなった。 『スパイ大作戦』(原題: Mission:Impossible)という米国のテレビドラマがあった。日本でも昭和40年代に放送され、その後、トム・クルーズ主演の映画シリーズでもお馴染みだ。テレビでは毎回の冒頭シーンで、暗闇でマッチが擦られ、その火が"導火線"的に画面を横切って、ストーリーをダイジェストで紹介した。実にワクワク感を煽ってくれた。初めてマッチで火を点けた日の興奮にどこか通じる、懐かしい場面である。 【東西南北論説風(478) by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】 ※『北辻利寿のニッポン記憶遺産』 昭和、平成、令和と時代が移りゆく中で、姿を消したもの、数が少なくなったもの、形を変えたもの、でも、心に留めておきたいものを、独自の視点で「ニッポン記憶遺産」として紹介するコラムです。 CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー(毎週水曜日)でもご紹介しています。
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