小倉智昭 吃音に苦しんだ幼少期…それでも「アナウンサー」を志した理由とは?
TOKYO FMの音声サービス「AuDee(オーディー)」で配信中の、放送作家にてラジオパーソナリティの植竹公和氏が、彼のレーダーにひっかかった文化人を招いて送るトーク番組「歌う放送作家 植竹公和のアカシック・ラジオ」。5月31日(金)配信回のお客様は、前回に引き続きフリーアナウンサーでタレントの小倉智昭さん。ここでは、吃音で悩んでいた幼少期時代について語ってくれました。 ▶▶【音声を聴く】「植竹公和のアカシック・ラジオ」
◆今でも一部の場面では吃音になる
植竹:新潮新書から出たばかりの小倉智昭さんの書籍「本音」を読むと、喋るお仕事なのに、もともと吃音者だったと書いてありました。 小倉:そうです。吃音“だった”ではなく、今でも吃音なんですよ。 植竹:えっ!? 小倉:今でも激昂したり突然振られて答えたりするときはそうなる。電話も吃音が出そうになるから嫌いです。それと、女房と気を許して話すとき、マネージャーと何も考えないで話すとき、録音されたらヤバいですよ。この人はプロなのに「なんでこんなに」ってぐらいに。 植竹:意外です。 小倉:マイクの前で言葉がなめらかに出るのはお金がもらえるから(笑)。ハッキリしているんですよ。よくね、吃音の人たちを相手にする講演を頼まれるんですよ。僕がいつも最初に言うのは「みなさん、吃音は治りませんよ」なんです。そうすると、みんなガッカリするんですよね。でも、「僕ぐらいには喋れるようになりますよ」って言ったら「そうなんだ」と目の色がキラキラと輝きだすんです。 植竹:(吃音は)いつ頃からですか? 小倉:物心ついたときにはそうでしたよ。親も何が原因で吃音になったかわからないと(言っていた)。ただ、「ゆっくり話しなさい」と言われれば言われるほど、酷くなるんですよね。今でも小学校のクラス会とかに行くと、「小倉君がアナウンサーになると聞いてビックリした」って言われる。 植竹:そんなに! 小倉:最近いい話があってね。僕は小学校の2年間だけ秋田から東京に出てきて、新宿の小学校に行ったことがあったんです。そのときに僕の大好きだった女の子と「また秋田に戻ることになったんだ」という話をしながら歩いて帰ったことがあったの。小学4年生のときです。 そのときのことをなんとなく覚えていたんだけど、50年ぐらい経ってその女性から手紙が来たんですね。「私はずっとあなたに謝らなければいけないと後悔していました。小倉君が学校を転校するときに、最後に私と一緒に帰ったのを覚えていますか?」と書かれていて、「もちろん覚えているよ」っていう感じだったんですけど。 「何かの話のきっかけで『小倉君は吃音だから』と言ったのを覚えています。なんと失礼なことを言ったのだろうと思いましたし、そのことをいつか謝らないと自分の気持ちがおさまらない」という手紙をもらったんです。 植竹:へええ! 小倉:電話で話す機会があったから、「(失礼だなんて)そんなことは全然思ってもいないし、もし言われたのだとしたら1つの励みになったのだと思いますよ」と伝えました。
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