小倉智昭 吃音に苦しんだ幼少期…それでも「アナウンサー」を志した理由とは?
◆吃音にならない方法を自分なりに考えた
小倉:小さい頃から七夕の短冊に「吃音が治りますように」と書いていたんですよ。ところが、小学5年生になっても何の変化もないから、親父に食い下がって「父ちゃん、俺の吃音が全然治らない。短冊に毎年書いているけど、願いが叶うなんて嘘だ」と秋田弁で言ったんですよ。 そうしたらね、小学5年生の男の子に向かって言った親父の言葉は「夢は持つな。夢は夢で終わる」でした(笑)。「夢というのは必ず願った通りに叶うんだって言う人は“成功した人”だ。成功する人っていうのは本当に少ないんだぞ。それよりも自分で目標を立てて、目標に向かって歩みなさい。もし目標が届かなかったら、手が届く目標にしなさい。父さんはそう思う」と言ってくれたんですよ。 植竹:いいお父さんだ。 小倉:吃音に対しても自分で治すにはどうしたらいいかを考えて、独自の方法を試しました。犬の散歩で河原を歩きながら話したりとかしていろいろ試しました。どこが人と違って、どうやったらなめらかに話せるんだっていうことを、幼き少年が一生懸命考えたの。独り言を話してよく歩くんですけど、独り言って絶対につっかえないんですよ。 植竹:そうなんですか! 小倉:自分のリズムで話せる独り言は吃音にはならない。それと、歌を歌っているときもつっかえない。 植竹:言われてみればなんとなくわかります。 小倉:一時期、僕の話には“メロディ”がつくことがあったんですよ(笑)。 植竹:へええ! 歌みたいに話せば大丈夫だったからですね。 小倉:そうしたら、「なんか話し方が変じゃない?」って言われました(笑)。あとは、教科書をみんなで読むときも吃音にならないし、かえってうまいと褒められたんです。演劇の舞台に立ってセリフを言うときもつっかえない。そういうことに気付いていって、「ひょっとしたら俺は話す職業に就けるかもしれない」と思うようになったんです。 植竹:それがすごいよなあ。吃音の方がアナウンサーになりたいと考えるのはすごいことですよ。 小倉:でもね、政治家といえば田中角栄さん、大先輩でいえば小川宏さん、それから歌奴師匠(三代目 三遊亭圓歌師匠)も吃音ですよね。僕が「小川宏ショー」(フジテレビ系)で初めてレポーターをやっているときに、小川宏さんから「僕も吃音だったんだよ」という話をしてくれたんです。心強かったのを覚えています。 (「歌う放送作家 植竹公和のアカシック・ラジオ」2024年5月31日(金)配信回より)
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