女性同士のマウンティングは避けられない?専門家に聞いた
友達や同僚との関係の中で、小さなストレスを受ける「マウンティング」問題。論文『マウンティングエピソードの収集とその分類』が話題となった、臨床心理学者の森裕子さんとともに「マウンティング」について考えていきます。今回は、マウンティングの定義の難しさやについてお話を聞きました。 【画像】女性同士のマウンティング
「マウンティングをする人」は研究できない
――マウンティングでの傷つきには、多くの女性が共感できるのではないかと思いましたが、マウンティングの体験には、人によってばらつきがあるのでは、とも思います。「マウンティングをしがちな人」、逆に「されやすい人」には、何か共通点や性格の特徴はあるのでしょうか。 森さん:まず、「マウンティングをする人」の研究は難しいということをお伝えしたいです。別の記事でマウンティングの定義を紹介しましたが、そのひとつである「マウンティングをした側に加害意識がない、あるいは加害意識がなさそうに見える」というのがポイントです。 本人に「マウンティングをした」という明確な加害意識があるパターンが少ないんですよね。自覚がないので「マウンティングをした人」を集めることがまず難しい。つまり、そもそもサンプルを集めることができないので、共通点を探す方法がないんです。 そしてもうひとつの理由は、これもまたマウンティングの定義の「相手の言動を受けて、自分の方が立場が下であると感じ、不快な気持ちになる」ということの曖昧さです。同じ言葉を受けても「これはマウンティングだ」と感じる・感じないに大きな個人差がある。多数の人にとって「マウンティングではない」と感じる言葉であっても、受け手が「マウンティングだ」と感じていれば、その人にとってはストレスになりますし、その受け止め方を否定することもできません。 発した側も少し張り合いたくなった程度の場合や、それが相手にとってマウンティングになるとは思わず嬉しい報告をしただけの場合も多いんです。なので、「ここからがマウンティング」とこちらで明確な線を引きづらく、そのことが「マウンティングをしやすい人」を定義することの難しさにも繋がります。 私は、自分が下に見られていると感じて不快な気持ちになったのなら、受けた側はマウンティングとしてとらえてよいと考えていますが、学問として「ここからマウンティングだ」と線引きすることは非常に難しいと考えています。定義や状態が曖昧なものがマウンティングというものの本質かなとも思いますが、もう少し定義を精緻化していきたくもありますね。