紅白は本当に「オワコン」? 出場者にとっての夢舞台「光栄なこと」、音楽関係者が語る魅力
『紅白歌合戦』は日本一伝統ある「フェス」
大みそかに放送されるNHK『第75回NHK紅白歌合戦』の歌唱曲が発表された。今年も日本を代表するアーティストたちが名を連ねる一方で、出場が期待されるもかなわなかったアーティストたちも多くいる。多くのヒット作を手掛けた“you-me”こと成瀬英樹氏が作曲家目線での「紅白」を語った。(文=“you-me”成瀬英樹) 【一覧】発表された『第75回NHK紅白歌合戦』曲目 ◇ ◇ ◇ 今年もまたぞろ「紅白はオワコン」などの言説がSNSなどで飛びかっています。裏番組の充実や、大衆娯楽の多様化なども重なって、お茶の間が『紅白歌合戦』にかつてほどの価値を見いだせなくなってるなんてこと、ここ30年以上言われ続けている気がしますけど、「本当にそうなのかな?」「紅白って毎年結構面白いけどな」と僕は思っています。 僕、「成瀬英樹」は、現在50代中盤を過ぎた、バンドマンあがりの作曲家です。『紅白』には幼い頃から親しみを持っていた世代。しかしながら、昭和後期の我が思春期には時代の移り変わりとともに『紅白』に活動の重きを置かない(風を装う)バンド系やシンガー・ソングライター達が台頭して来た時期と重なり、僕もまた「紅白ってダサいじゃん」派閥に一票を投じていました。 1990年代、20代の僕はバンド活動にすべてを懸けていました。当時ライブハウスやコンテストで活動しているうちに、レコード会社やイベンターから声を掛けてもらうようになりまして、オトナたちに「君たちの目標はなんだね?」と聞かれることがあったなら僕は鼻息も荒く「紅白出場です」と答えていたんですよ。その時代のライブシーンのミュージシャン達に『紅白』が目標と公言する価値観はなかった(だろう)から、僕たちなりのカウンターであり「逆にそっちがロック」的な逆張りのつもりだったんです。 何だかんだ言っても、やってる方、作ってる方は、紅白はすごく出たいものだと思います。だからこそ、真っ当に正直な答えでもあったわけです。もちろんそれはかなわぬ夢、まるで空の星をつかむような話だと思っていました。現実感などまるでないものだから、恥ずかしげもなく「紅白が夢です」なんて言えたわけです。 時は流れて2007年7月、AKB48の4thシングル『BINGO!』の作曲者として、初めて「週間チャートベスト10入り」を果たしました。そしてその年、AKB48は紅白歌合戦に初出場を決めました。僕はその知らせをNHKの午後7時のニュースで知りましたが、その「AKB48初出場!」を伝えるアナウンサーの声の後ろでは、僕が作曲した『BINGO!』のミュージックビデオが流れていたんです。 お! ついに念願の「作曲家としての紅白出場?」と期待しますよね。 出場発表から、曲目が決定するまでの約1か月、僕は仕事も何も手につきませんでした。当時齢39、ポンコツ音楽人生を歩んできた僕ですが、ついに夢の『紅白』に手が届くところまできたと思ったんです。しかしながら、その年にAKB48が歌唱したのは前年06年リリースされた『会いたかった』だったんですよ。嗚呼、無情。 あの時の落胆を思うと、今も胸が苦しくなります。『紅白』で歌ってもらえる機会なんて、そうはないことを知っていましたから。この時の悔しさは僕の心に火をつけました。近いうちにきっと必ず、自分が作ったメロディーを『紅白』の大舞台で歌ってもらおうと、より精進を誓ったんです。